2012年12月9日(日)主日礼拝メッセージ
2012-12-12
マタイによる福音書1章18~25節 『ひとりで苦しまないで神を求めよ』
『彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。』 (マタイによる福音書1章21節)
教会ではクリスマスに「クリスマスカード」を送る習慣があります。親しい人たちと互いにイエス・キリストの誕生の喜びを分かち合うためです。分かち合うことで更なる喜びがあります。人は分かち合うことで何かを得るように造られた存在だということです。現代は孤独の時代だといいますが人は神に支えられなければ生きていけない存在なのです。
救い主イエス・キリストはヨセフとマリヤの人間の夫婦から生まれ家庭のなかで成長していきました。なぜ神が人間のなかに生まれてくる必要があったのか?さまざまなことがいわれていますが本当のところ神に聞いてみなければ誰もわからないことです。ひとつ言っていることはイエス・キリストは人間の罪を救うために来られたということです。神が人となって来られた。ことは私たちがどんなことで苦しみ、傷んでいるのか知るためではなかったのでしょうか。『人は命だけではいきられない』佐々木炎著では介護の現実とともに人の素晴らしさについて語っています。これは人の生にふれてみてはじめてわかることです。ネットやメールなど便利な時代ですが人の傷みを知ることのできない弊害も出ています。聖書の神は他の神々のように人間が来るのを待つのでなく人間のもとに来られました。私たちのそばに神が来て下さったのです。
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