12月7日 アドヴェント第2主日礼拝 創世記48章1~11節 「孫に継承される神の約束」
2014-12-09
これらの事の後に、「あなたの父は、いま病気です」とヨセフに告げる者があったので、彼はふたりの子、マナセとエフライムとを連れて行った。 (創世記48:1)
エジプトに移住したヨセフも神様の御許に召されるときがきました。ヨセフはふたりの子、マナセとエフライムを彼のもとに連れていきます。
ヨセフは父に言った、「神がここでわたしにくださった子どもです」。父は言った、「彼らをわたしの所に連れてきて、わたしに祝福させてください」。 (創世記48:9)
ヤコブは、このとき孫たちを祝福しようとしています。私たちクリスチャンは祝福の継承についてどうとらえるでしょうか?日本の教会、クリスチャンたちが信仰の継承というときに頭に思い浮かぶのは「行い」です。礼拝を守る。教会を守る。親の信仰を引き継ぐなど聖書が言っていることとは、ほど遠いところに子どもたちを追いやり苦しめているのです。
ヤコブは、自らの生涯においてうけた神様からの祝福、恵み、憐れみをいま、孫たちに示すのです。私たちが子や孫に継承するのは自らの信仰の行いではなく、私たちが神様から受けた祝福、恵み、憐れみなのです。あなたは自分の子に何を伝えるのですか?神様の祝福、恵み、憐れみ それとも 自分の行いを誇ることですか?
自分はこうやって信仰を守ってきた。それであるならあなたは神様でなく自分の行い、信仰を誇っているにすぎません。イエス・キリストの誕生を待ち望むこのとき、あなたが伝えるのは自分の行い、信仰ではなく神様の愛、犠牲、憐れみであることを忘れてはいけません。
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