10月12日 主日礼拝 イザヤ書1章10~20節 「論じ合おうではないか」
2014-10-12
主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。 (イザヤ書1章10~20節)
世界の終末とは聖書において何を意味しているのでしょうか。神様の人類に対する裁き、天変地異。あるいは殺人ウイルスの蔓延。エボラ出血熱は世界中で大変なことになっています。戦争など私たちを不安にさせるものを数えるならきりがありません。
私が思う世界の終末とは「愛が冷える」ことではないでしょうか。今、最も世界において危険なことは人間にある愛が冷えて、冷えるばかりか消えてなくなる危機に人類は瀕しているのではないかと思うのです。
イザヤが神様の預言者として召しを受けた時もそうでした。イスラエルの国全体が神様に対しての愛が冷えて、消えてしまったのです。礼拝の危機、共同体の危機は愛が冷えるところからはじまるのです。現代のキリスト教会の危機は高齢化、信教の自由の危機、そうではありません。神様に対する愛、救いに対する感謝の心、がなくなっていることがいちばんの危機です。
教会が力をなくしている。それは神様への愛が冷えてしまったことにあるのです。教会にある私たち一人一人が神様に対しての愛が冷えてしまっていないかどうか。問いかけていく必要があります。日本のキリスト教会の再生はそこからはじまるのです。
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