9月14日 主日礼拝 詩編71編8~18節 「年老いてもあなたの救いを語り続けます」
2014-09-14
神よ、あなたはわたしを若い時から教えられました。わたしはなお、あなたのくすしきみわざを宣べ伝えます。 神よ、わたしが年老いて、しらがとなるとも、あなたの力をきたらんとするすべての代に/宣べ伝えるまで、わたしを見捨てないでください。 (詩編71:17・18)
今日は敬老折り鶴礼拝です。長生きは神からの祝福です。ですが、この日本ではそうとも言えないようです。私たち人間の生は神からの恵みです。医療の進歩によって飛躍的に寿命が長くなったことに対し私たちは生に対する尊厳も喜びもなくなったということでしょうか?
また、年長者を敬うことも薄れてきています。人生の経験をとおして若い者たちが学んでいくことが知識が豊かに、誰もがいとも簡単に手に入れることができるようになったことで学ぶこともないということでしょうか。教会はこの時代の流れに対しどのように受け止めていくことができるのでしょうか。教会もこの世と同じように長生きは害であると言ってしまうのでしょうか?
神を信じる者には特別な恵みがあります。それは神の救い、恵みを知り続けることです。この恵みは神との交わりなくしては得られない特別なものです。礼拝をとおして積み重ねられた神からの恵みと愛は信仰者からキリストにあるかぐわしい香りをだします。一日そこらではできないことです。信仰生活における年長者にはそのようなキリストにあるかぐわしい香りがあるのです。日本のキリスト教会はこのような特別な恵みをいただいていることに感謝しなければなりません。それとも私たち教会は神の恵みを軽んじているのでしょうか。神から問われています。
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