2013年5月5日(日)主日礼拝メッセージ 創世記21章8~20節 神は忘れない
サラはエジプトの女ハガルのアブラハムに産んだ子が、自分の子イサクと遊ぶのを見て、アブラハムに言った、「このはしためとその子を追い出してください。このはしための子はわたしの子イサクと共に、世継となるべき者ではありません」。(創世記21章9・10節)
私たちは神様の恵みを頂いていながら恵みを忘れる愚かな存在である。恵みに感謝するということは自分が受けた恵みを他者に分け与えるということだ。サラはイサクという一人息子の誕生をとおして神様から恵みを頂いたがそのことを忘れてしまった。私たちもサラと同じように愚かな者であろう。あの3月11日の東日本大震災での世界中からの祈りと支援にどれほど私たちは感謝したであろうか。こうして毎週の礼拝に出席できることも然り、日常どれほどの恵みを神様から頂いていることか。そのいくらかでも感謝して他者に分かち合うことができたら、私たちの住んでいる世界はどんなにか豊かで素晴らしい世界になっているだろうか。恵みに感謝することができる者となれるように変えられていきたい。
神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。(創世記21章17節)
ハガルとイシマエルはアブラハムの家を出て行った。行き先のあてのない旅だった。3月11日以降、多くの人たちがハガルとイシマエルのように行き先の見つからない過酷な旅を強いられている。私たち一人ひとりも心の深いところにおいて行き先のない旅をして彷徨い苦しんでいる。
神様はハガルに語られた。「恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた」神様は泣き叫んでいる子どもの声を聞かれた。忘れてはいけない。神様は私たちの声も聞かれた。彷徨い苦しんでいる私たちの声を聞き、神のひとり子イエス・キリストを送って下さった。私たちはもう泣くことも、叫ぶこともしなくていい。なぜなら私たちの声を忘れないで聞いてくださるお方がいるのである。