2013年4月10日(水) 祈祷会メッセージ 詩篇123篇
2013-04-12
祈りとは何でしょうか?私たちは願いを叶えてもらうために神様という名のつく存在に祈ります。自分の願いが叶えばすばらしい神様だとますます祈り、まあ返答がなければ忘れてしまう存在ではないでしょうか?
詩篇の中で祈りささげている神様は一般で思われているような神様とは違います。詩篇の中で祈りささげる人たちは願いが叶えられることを求めているのでなく神様御自身を求めているからです。彼らにとって神様に祈ることは神様を知り、神様から慰められることでした。人間には求めることのできない永遠の交わりを神様に見出したからです。彼らは苦難と悲しみの中で神様を見出しました。その神様との交わりは彼らに本当の慰めと癒しを与えたのです。
主よ、われらをあわれんでください。われらをあわれんでください。われらに侮りが満ちあふれています。(詩篇123:3)
人々の嘲りと辱めの中で本当に慰めを与えることができたのは神様だけでした。彼らはまことの神様を見出したのです。最近「スーパーナチュラル」というアメリカのドラマにはまっています。そのドラマでは牧師が病人を癒すという奇跡の業を行います。一見神様の奇跡のように見えますが、実は牧師の奥さんが死神と取引して癒す人と引きかえに別の人を変わりに死なせて癒しているように見せていたのです。
私たちの願いも何らこの奥さんと変わらないように思えてならないのです。自分の願いと引き換えに他の人を犠牲にする。本当の祈りとは何であるのかクリスチャンは今一度詩篇をとおして自ら問いかけることが必要ではないでしょうか。
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