9月28日(日)主日礼拝 創世記44章1~13節 「あなたは新しくされているか」
2014-10-01
町を出て、まだ遠くへ行かないうちに、ヨセフは家づかさに言った、「立って、あの人々のあとを追いなさい。追いついて、彼らに言いなさい、『あなたがたはなぜ悪をもって善に報いるのですか。なぜわたしの銀の杯を盗んだのですか。 (創世記44:4)
ヨセフは兄弟たちをなぜ窮地に追い込むようなことをしたのでしょうか?読んでいて理解に苦しみます。聖書にはこのような出来事が数多く描かれています。数多くというのはこの世には理解に苦しむことがあるということでしょう。
私たちは、相手に、外側になぜという意味を求めます。ですが、いちばん大切なことは自分がどうあるべきなのか、自分にとってこのことはどういう意味があるのか、苦難のなかで、悲しみのなかで、私はそれでもどのように生きるべきなのか神に祈り求めていくことなのだと思うのです。
よく、わたしは言われます。「苦労しないで育ってきたと思う。牧師さんは、」しかし、私がどれほど痛みと悲しみを経験してきたのか、いやというほど人の残酷さを味わってきたか。誰も知らないでしょう。しかし、神様だけが私の苦しみ、悲しみ、痛みを知っている。これが私をかろうじて支えてきたのです。唯一の生きる支えでした。
人はまったく人の内にある苦しみ、悲しみをわかりません。わからないのです。神様だけが知っています。その神様があなたを新しくするのです。あなたのいのちを新しくすることができるのです。
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