8月31日 主日礼拝メッセージ 創世記43章1~14節 「神の夢を取り戻す」
2014-08-31
「どうか全能の神がその人の前であなたがたをあわれみ、もうひとりの兄弟とベニヤミンとを、返させてくださるように。もしわたしが子を失わなければならないのなら、失ってもよい」(創世記43章14節)
私たちはこの世界で夢を持ちます。夢を持つことは大切。教会はビジョン(幻)を持つことが必要だ。ありとあらゆる場所で夢が氾濫しているように思います。しかし、私たちが使っている「夢」とは本当の「夢」でしょうか?「欲望」あるいは「自己願望」であるかもしれません。この世界のためと言いつつ私たちの心の中にあるやりきれない思い、あるいはこの世界に対する不満を「夢」という言葉に置き換えているだけのように思います。多くの人たちはこの言葉に思いっきり反論するでしょう。あるいは敵意をもってひねりつぶすかもしれません。イエス様も時の宗教家・群衆によってひねりつぶされました。
一度、真実な夢を神様が私たちに見せる時、私たちは激しく神様の夢に反抗します。なぜでしょうか?神様の夢はおよそ私たちの求める夢とは正反対のものだからです。神様の夢はこの世界の救い、人間を罪から救うことでした。こんな夢、私たち人間にとって何の利益にもならない。喜びにもならない。と思うのです。ですがこれが神様の夢です。罪にあって苦しんでいるこの世界・私たちを救いたいと神様は夢を持つのです。途方もなく大きな夢、実現不可能に思える夢、しかし、この夢こそが私たち教会・クリスチャンが持つべき夢ではないでしょうか。神様は同じ夢を持つ人を求めているのです。神様の夢にすべてをかける人を。ヤコブもそうでした。神様の夢に自分をささげた人々によって神様の救いの御業があらわされていくのです。
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