8月17日(日)主日礼拝 創世記42章21~28節
2014-08-17
彼らは互に言った、「確かにわれわれは弟の事で罪がある。彼がしきりに願った時、その心の苦しみを見ながら、われわれは聞き入れなかった。それでこの苦しみに会うのだ」。ルベンが彼らに答えて言った、「わたしはあなたがたに、この子供に罪を犯すなと言ったではないか。それにもかかわらず、あなたがたは聞き入れなかった。それで彼の血の報いを受けるのです」。彼らはヨセフが聞きわけているのを知らなかった。相互の間に通訳者がいたからである。ヨセフは彼らを離れて行って泣き、また帰ってきて彼らと語り、そのひとりシメオンを捕えて、彼らの目の前で縛った。そしてヨセフは人々に命じて、彼らの袋に穀物を満たし、めいめいの銀を袋に返し、道中の食料を与えさせた。ヨセフはこのように彼らにした。彼らは穀物をろばに負わせてそこを去った。そのひとりが宿で、ろばに飼葉をやるため袋をあけて見ると、袋の口に自分の銀があった。彼は兄弟たちに言った、「わたしの銀は返してある。しかも見よ、それは袋の中にある」。そこで彼らは非常に驚き、互に震えながら言った、「神がわれわれにされたこのことは何事だろう」。(創世記42章21~28節)
聖書にでてくる「罪」この罪の怖さは私たちが罪を犯していることに気づかないこと、私たち自身が罪そのものであるということに気づかないことである。やがては私たち自身が罪によって蝕まれていき破滅に向かっていることも知らないで罪を犯している恐ろしさに気づかないでいるのである。
神様は罪に気づかせるために、敢えて私たちを罪に向き合わざるおえないように導かれる。困難のなかにおいて「なぜ、このようなことを神様はなさるのか」ヨセフの兄弟たちは、自分たちがどうしてというような出来事に遭遇して、過去に犯した罪に向き合わされるのである。そのようなところから主に祈り求めることをはじめたのである。主に祈りはじめることから主の私たちに対する救いの御業がはじまるのである。
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