8月24日 主日礼拝 創世記42章29~38節 「蒔いたものを刈り取る人生」
2014-08-24
ヤコブは言った、「わたしの子はあなたがたと共に下って行ってはならない。彼の兄は死に、ただひとり彼が残っているのだから。もしあなたがたの行く道で彼が災に会えば、あなたがたは、しらがのわたしを悲しんで陰府に下らせるであろう」。 (創世記42:38)
この世界は因果応報の世界である。と私たちは人生を捉える。善をすれば善が、悪をなせば悪がその人に返ってくると、だが現実はそうでないことに私たちは矛盾を感じている。なぜ、正直な人が騙されなければいけないのか、悪人が我が物顔でのさばっているのか。あらゆることに憤りを感じ、抵抗する人や刹那的に「どうせ、騙されるなら騙してやれ」というようにやられるまえにこちらからやるという生き方、これが私たちの住んでいる世界だ。
聖書は語る。この世は暗闇、悪が支配している世界、神様の愛を否定した世界。だから救いが必要なのだ。私たち人間がこの世界をよくできるのだと思っていることに決定的な過ちがあるのだ。なお私は正しいと。その心が神を十字架につけてしまったのだ。私たちは自分たちの蒔いたものによって、悪、憎しみ、妬み、敵意、悲しみなど人生のなかでいやというほど刈り取ってきた。
もうたくさんではないのか?と神様は私たちに語りかけてくださる。私たちの主イエス・キリストがこの世の苦しみ、矛盾をすべて刈り取ってくださった。私たちが今人生で刈り取るものはなにか?それは神様が私たちのために流してくださった涙、愛を刈り取るのだ。
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