6月19日(水)祈祷会メッセージ 詩篇132篇 神さまを畏れる幸い
2013-06-20
主よ、ダビデのために、そのもろもろの辛苦をみこころにとめてください。ダビデは主に誓い、ヤコブの全能者に誓いを立てて言いました、「わたしは主のために所を捜し出し、ヤコブの全能者のためにすまいを求め得るまでは、わが家に入らず、わが寝台に上らず、わが目に眠りを与えず、わがまぶたにまどろみを与えません」。(詩篇132:1~5)
ダビデほど神さまのまえに幸いな人生を送った人はいません。ダビデが幸いな人生を送ることができた秘訣はどこにあるのでしょうか?神さまを畏れたことにあります。「どうして神さまを信じている国が戦争をするの?」と質問されます。簡単に一言で答えることはできませんが、神さまを信じていると言いながらも神さまを自分のために利用している私たちキリスト者であることは残念がら事実です。
その罪のためにイエス・キリストは十字架におかかりになったのですが… ダビデは神さまを利用しませんでした。真に神さまを畏れ自分を低くしました。真に神さまを畏れる人は神さまを己のために利用しません。それゆえダビデは神さまのまえに幸いを得たのです。反対に自分のために神さまを利用する人は自分自身が神さまの恵みを止めてしまうのです。
神さまを畏れ信頼している人には、平安で柔和さがあります。なぜなら自分を頼みとせず神さまを信頼しているからです。先日、ある牧師家族の集会に出席する恵みにあずかりました。青森という伝道が困難な地域にあって、何十年も伝道の働きをされている。語る言葉一つ一つに神さまへの感謝と喜びを聞くことができました。反対に自分はこうだと言っていることに平安がなく恐れでいっぱいになっている愚かな自分に気づかされました。神さまを畏れる幸いを知る者となりたいと願います。
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