2013年4月21日 主日礼拝メッセージ
「アブラハムの失敗」 創世記20章8~11節
【口語訳】20:8 そこでアビメレクは朝早く起き、しもべたちをことごとく召し集めて、これらの事をみな語り聞かせたので、人々は非常に恐れた。 20:9 そしてアビメレクはアブラハムを召して言った、「あなたはわれわれに何をするのですか。あなたに対してわたしがどんな罪を犯したために、あなたはわたしとわたしの国とに、大きな罪を負わせるのですか。あなたはしてはならぬことをわたしにしたのです」。 20:10 アビメレクはまたアブラハムに言った、「あなたはなんと思って、この事をしたのですか」。 20:11 アブラハムは言った、「この所には神を恐れるということが、まったくないので、わたしの妻のゆえに人々がわたしを殺すと思ったからです。
アブラハムは住み慣れた場所を離れてゲラルの地へと旅立ちます。その場所はアブラハムが信じていた神様を知らない人たちが住んでいました。むしろ神様を恐れることがないとアブラハムは思っていました。それゆえに美しい妻サラを見たなら人々は私を殺すのではないかと恐れたアブラハムは自分を守るために妹であると嘘をつきます。アブラハムはいったい何を恐れていたのでしょうか?人間とはいったい究極的に何を恐るのでしょうか?究極的には死を恐るのだと思います。死とは単なる肉体の死でなく自分という存在が消滅してしまうことの恐れなのです。
どんな人でも最終的に死から逃れることはできません。早いか遅いか、短いか長いか、しかし、この地球の営みから見ればどんな人の歩みも存在もちりに等しいものです。誰も私たちのことなど覚えている人などどこにもいないのです。では私たちの存在は無意味なのでしょうか?そうではありません。この天地を創造され私たちに命を与えられた父なる神がおられます。アブラハムはこの御方を見ていなかったのです。私たちは現実を見ます。しかし現実の先には真実があります。真実を見ないならば現実に飲み込まれるしかないのです。私たちは現実の先にある真実を見ていきましょう。