2013年4月17日(水) 祈祷会メッセージ 詩篇124篇
都に上る歌。ダビデの詩。】イスラエルよ、言え。「主がわたしたちの味方でなかったなら 主がわたしたちの味方でなかったなら/わたしたちに逆らう者が立ったとき そのとき、わたしたちは生きながら/敵意の炎に呑み込まれていたであろう。 そのとき、大水がわたしたちを押し流し/激流がわたしたちを越えて行ったであろう。 そのとき、わたしたちを越えて行ったであろう/驕り高ぶる大水が。」 主をたたえよ。主はわたしたちを敵の餌食になさらなかった。 仕掛けられた網から逃れる鳥のように/わたしたちの魂は逃れ出た。網は破られ、わたしたちは逃れ出た。 わたしたちの助けは/天地を造られた主の御名にある。
もし、私の人生に神がいなかったら~という出だしで始まっています。人生にもしということはないかもしれないのですが、この人は神がいなかったら人生の荒波の中でとっくに自分はダメになってしまったであろう。今、ここにいるのは神が私の味方(助け)となって下さったからだと告白し感謝と賛美を捧げているのです。
神を信じる者には失望することがありません。なぜならすべてを失っても、あるいは私以外のまわりにいる人たちが敵となったとしても神が神を信じる(信頼する)者たちを守ってくださるからです。この詩篇はこのことを語っています。人を信じるのでなく神を信じるのです。どうかこのことを知って下さい。
「就職失敗で自殺をする大学生が1000人を超えたらしい」という記事を見ました。今の大人たちは若者に生きる意味や仕事の意味など人が生きるうえで本当に必要なこと、大切なことを教えていません。自分たちは道徳や宗教など人生の先達たちが大切にしてきたことを教わってきたでしょう。だから今の日本があるのです。けれども今の大人たちは成長や民主化という名のもとにすべてを切り捨ててしまいました。この大きなつけをこれからの世代が負わなければならないのです。「そんなこと知ったことか」と「今の若い者は覇気がない」「自分で這い上がってこい」などと無責任な言葉が多すぎます。人生で大切なことを若い者に教えていくのは大人の義務です。
この詩篇は神と共に歩んだ年老いた信仰者が若い人たちにこれから新しい人生を歩み出す君たちに大切なことを教えたい。そんな意味においても読むことができます。「これからの人生君たちには多くの苦難が待ち受けているだろう。だが知ってほしい。どんなときにも神が君たちの味方であることを。どこに証拠があるかい。私だよ、私の人生が証拠だ。」私自身そう言える信仰者になりたいと願います。