2013年1月27日 主日礼拝メッセージ 『あなたの名は祝福となる』 創世記12章1~9節
時に主はアブラムに言われた、「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい。わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。(創世記12章1~2節)
あなたの存在は家族にまわりに喜ばれているだろうか?案外私たちは無意識に気にしていないだろうか?「人からどんなふうに思われている?」「好かれているかな?」考えればキリがない。反対にあの人に、家族に傷つけれた、苦しめられた、あの人さえいなければと思ったことはないだろうか。文豪ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟がドラマ化された。ドラマのストーリーでは父親が息子たちを思うがままに支配し罵倒している姿が印象的だった。それぞれの子どもたちは人格が歪めれ人生が狂わされていく、時として私たちはカラマーゾフの兄弟のように父親に子どもたちのようになる。
どちらも不幸だ。人を傷つける存在になるか、傷つけられる存在になるか。突き詰めると私たち人間は人を不幸にしかできない哀れな存在なのかもしれない。しかし、神は言われる。「あなたの存在は祝福となるのだ」とアブラムは神にそのように言われて神の約束を信じて、自分が築き上げたすべてを捨てて神に従う決断をした。アブラム75歳の時である。75年も人生を生きていれば傷つけられたり、裏切ったりいろいろなことがあったであろう。ささやかな喜びもあったであろうが、アブラムは自分の人生、存在は何であったのか?思いめぐらしたに違いない。
そのような時に神の呼びかけがアブラムにあった。「あなたは私と一緒に残りの人生を生きてみないか。あなたの存在を私にかけてみないか」とアブラムは迷ったに違いない。自分だけでない。妻もいる。家族もいる。財産もあれば、今まで築き上げてきたものをそうやすやすと捨てることができるのか?
しかし、アブラムは神と共に新しい人生を出発することを決意した。それは始めて自分という存在を認められたことに喜びを感じたからではないだろうか。私たちはちゃんとしていなければ生きてはいけない世の中の価値に苦しんでいる。「あなたは仕事ができない」「あなたは病気だ」「あなたは~だ」いつもレッテルや評価に囲まれて生きている。基本的に私たちは今はきちんと生きているように見えても、いつか必ず「あなたは年寄りだ」「あなたは何もできない」という評価を受け、「生きる価値がないよ。」と言われる。だから年を重ねることに喜びがなく反対に恐れを持つ。
しかし、神はそうではない。75歳のアブラムに「あなたの存在は祝福となるのだ」と。聖書が言う「祝福」には「未来を切り開く力」という意味がある。年を取り、何を生み出すのか?という存在のアブラムが神の恵みによって新しく生まれ変わり「未来を切り開く力」を人々はアブラムよ、あなたをとおして見るのだ。と神は言われるのである。もし、あなたが「自分の存在など価値がない」と思っているのならアブラムに語られた神の言葉を信じてほしい。「あなたの名(存在)は今から祝福になるのだ」と