2013年1月23日祈り会メッセージ 詩篇119編121~128
119:121 わたしは正しく義にかなったことを行いました。わたしを捨てて、しえたげる者に/ゆだねないでください。 119:122 しもべのために保証人となって、高ぶる者にわたしを、しえたげさせないでください。
私たちにも詩人と同じ信仰の戦いがある。毎日が信仰を守るための戦いである。日本はクリスチャンが少ないから礼拝を守ることが大変だ。アメリカやヨーロッパはキリスト教国だから羨ましいと言うが、それは信仰者がどういう存在かまったくわかっていない。むしろ哀れな存在だといっていいだろう。信仰者は周りとの戦いではなく自分自身との戦いではないだろうか?神の御心を行うか、あるいはこの世の誘惑に負けてしまうのか。イエス様も常に戦ってきた。荒野での誘惑、ゲッセマネの園での十字架を前にしての一人での孤独な戦い、イエス様は戦いに勝利してきた。
この戦いは一人だけの孤独な戦いでないことを知らなければいけない。私たちが罪から、偽り生き方から解放され神の恵みの中に生かせられる大切な戦いなのである。主ご自身が苦しみの戦いを経て勝利された時から主の豊かな御業が主イエス様を通して表されたのである。私たちも戦いを通して新しい祝福された人生を神と共に歩むことを知らなければいけない。
私たちが豊かに主の御業を受けるためには障害となるものを取り除かなければいけないだろう。心の底にある自分でも気づかない恐れや心の傷などがあって私たちを容易に神への信頼を向けさせないようにしているのではないだろうか。
卓球の福原愛選手が全日本選手権で優勝した。彼女は昨年の9月に右ひじの手術をした。オリンピックでは痛い右ひじをかばいながら戦い、銀メダルを取ったのですからすごいことだ。手術後はひじの痛みもなくなって思いっきりプレーができるようになり、今回の優勝につながったとニュースでは報道されていた。
彼女は手術後プレーできない時期、苦手な筋力トレーニングをとおして下半身の強化をしたのである。自分を見つめて苦手な部分を克服しようと務めた。
信仰者も同じではないだろうか。苦難の中にあってこそ普段では決してないであろう深く神に祈り、神の御言葉から慰めや励ましを豊かにいただく。この期間をとおして神との関係がより深められていき、更なる成長、新しき人につくりかえられていく経験を神からいただく時なのである。
苦難はチャンスと言うが、苦難や失敗をしなければ自分の弱さや傲慢さに気づかない自分であったことを神から教えられる経験ができる。イエス様自身の祈りを見るときに苦難の中から、父なる神と格闘しより深くつながり、力強い歩みをしている姿を見る。
神は苦難の戦いをもとおして私たちを力強く新しくつくりかえられる方である。