2月8日(金)女性会例会 世の光2月信教の自由を覚えて祈る
2013-02-08
彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「それでは、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。(マタイ22:11)
2月11日は「信教の自由を覚える日」として信教の自由についてキリスト教会は大切にしてきた。私たちは信じることの自由について考えてみたい。よく私たちはこう思う。神さまを信じることに多くの誘惑、妨げがある。これさえなければいい教会生活ができるのに、もっと変われるだろうに。なぜ神さまは私たちのまえに多くの誘惑を置いたままにしておくのだろう。
では、私たちのまえからそのような誘惑が取り除かれたら神さまを信じ続けることが保証されるのだろうか?そうでないことを私たちは知らなければならない。いいものであってもやがて私たちを神さまから引き離す誘惑や妨げになることがあるのだ。
私たちは心地よいもの、満足させるものに心惹かれるのだ。だから日常においても流行がある。便利なものがあればすぐ飛びつく。神さまを信じ続けることは喜びと試練の連続である。神さまは私たちに選択する信仰の自由を与えてくださっているのだ。神さまは私たちを信じている。私たちが信じる以上に神さまは私たちを愛し信頼しているのだ。神さまを信じることは信頼と真実を神さまとの間に築き上げること。そのことを覚え信じる自由と喜びを神さまから与えられていることを感謝する日として覚えたいのである。信教の自由とは、これがなければと外のせいにすることなく自分自身と神さまとの関係を問い直すことでないだろか。イエス様は「あなたにとって神とは」と問いかけている。信仰者であるということはどういうことなのか問いかけていきたい。
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