6月20日祈り会メッセージ 詩編115編より 嘲られても
2012-06-20
私たちの日常はいたるところに偏見と差別に満ちています。日本の社会ではある宗教を信じているというだけで好奇心のまなざしで見られることはないだろうか?イスラエルの人たちも見えない神さまを礼拝していることで諸国からあざけりを受けたということが115編2節で記されています。
「なにゆえ、もろもろの国民は言うのでしょう。『彼らの神はどこにいるのか』と。」(2節)人々はイスラエルに向けて一番痛いところをつきました。「お前の信じている神はどこにいるのか?見えないじゃないか」私たちも日常において一番つかれたくないところをつかれます。まわりの人たちは自分以上に欠点や弱いところを知ってついていくのです。そのときどうすればよいのでしょうか?本当につらいですね。
神さまは詩編115編をとおして答えて下さいます。戻るべきところに戻ることです。私たちの弱いところや欠点あるいは反論しても仕方のないところを右往左往するのでなく、自分を生かして下さる、輝かせて下さる方をイスラエルの人たちは見つめ、そこに戻りました。「われらの神は天にいらせられる」(3節)イスラエルの人たちが戻るべきところに戻ったときに反対に嘲る人々の本当の姿が見えてきたのです。あなたは嘲られる時、一番つかれたくない欠点や弱いところをつかれたときどこに戻りますか?どう対処するでしょうか?イエス・キリストを見いだして下さい。あなたがイエス・キリストに出会うことを祈ります。
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