鮫バプテスト教会| JR八戸線 鮫駅からすぐの明るい教会です

八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

Archive for the ‘祈祷会’ Category

8月3日(水)祈祷会 マルコ5章 わたしに係わらないでください。

2014-08-07

「また、それを見た人たちは、悪霊につかれた人の身に起った事と豚のこととを、彼らに話して聞かせた。 そこで、人々は イエスに、この地方から出て行っていただきたいと、頼みはじめた。」(マルコ5:16~17)

マルコ5章では悪霊につかれた人をイエス様はお救いになられました。しかし、その出来事を知った村の人々は非常に恐れてイエス様に出ていってくれと頼み始めたのです。

神様の救いよりも、今の生活が大事に見えてしまうことがあります。その時はそうかもしれません。ですが最期にあなたを救うものは何でしょうか?村の人たちはあのときイエス様を引きとめておけばよかったと後悔したのではないでしょうか。イエス様はあなたに呼びかけています。あなたはわたしに係わらないでくださいといいますか?

8月3日(水)祈祷会 箴言8章 わたしを見いだす者は

2014-08-07

「それは、わたしを得る者は命を得、主から恵みを得るからである。 わたしを失う者は自分の命をそこなう、すべてわたしを憎む者は死を愛する者である」(箴言8:35~36)

神から知恵を得る人は真の命を得ると聖書は語ります。この世の最高の知識が人を幸せにするとは限りません。むしろ反対に最高の知恵を得たばかりにその人が苦しめられるということもあります。私たちを幸せにする真の知恵はどこにあるのでしょうか?

聖書は真の神の知恵であるイエス・キリストを得ることが最高の幸せだと言います。どうぞ聖書に読んで幸いをつかんで下さい。

 

 

週報 泉のほとり 7月27日

2014-07-26

キリストの香りを放つために

「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのであるわたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。」(Ⅱコリント21415節)

ここでは、パウロは自らを「キリストのかおり」であると述べています。この「かおり」とは、ローマ時代において、戦争に勝利した将軍が凱旋する「凱旋パレード」で炊かれるお香の「かおり」を喩えに用いたものなのです。パウロが言わんとしたことは、何でしょうか?それは、私たちが置かれている場で、神様の愛を知るという経験・知識が、「キリストのかおり」となって、周りの人々に漂い、また、神様にとってもかぐわしいものだということなのです。

私たちはキリストの愛のかおりを放っているでしょうか。反対に周囲の人たちに怒りや憎しみという毒を放っていないでしょうか。この人がいるだけで周囲が黙ってしまい、何も言えない空気を漂わせていることがあります。知らないうちに周囲に毒を撒き散らしているのです。私たちはいつも「キリストのかおり」を放つために聖書に学び、祈らなければなりません。           牧師 林健一

2014年1月5日(日) 主日礼拝メッセージ 創世記31章23~35節

2014-01-05

あなたは神を信じるということについてどのように考えているでしょうか?今日の聖書にはラケルが父ラバンが大切にしているテラピムという像の神を盗み出します。ラバンはテラピムを取り戻すために血眼になって追いかけるのです。

聖書の神は生きている神です。私たちが自由に手に取ったりできるものではありません。私たちは神を信じるということにおいて自分の自由にできるものだと思うところに愚かさがあります。罪があります。神に対しても人に対しても自分の思うようにしたいという愚かさがあります。

神を信じるということは生きた神との激しいぶつかりあいであり、そこから神を知り私が愛されていることを知るのです。

泉のほとり 2014年1月5日(日)

2014-01-04

「終わりよければすべてよし」 「あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に、」(伝道の書12章1節) 

   作家の曽野綾子さん著書『人間にとって成熟とは何か』を読みました。その中で印象に残った言葉がありました。 「ラテン語のfinisという言葉は周知のごとく二つの意味をもっている。すなわち終わりということと目的ということである。」  人は終わりに向かうと同時に人生の目的に向かっているのだということでしょうか。これから過ごす一年の歩みも同じではないでしょうか。 また人が幸福を感じることにおいて大切な三つの要素があるそうです。「人との交わり」「親切」「今ここにいること」、人はこの三つに満たされることで幸福を感じるのだそうです。 神が私たちに与えておられる目的、神との交わり・感謝・今ここに生かされていることを大切にしていきたいと思います。                           牧師 林健一

週報 11月24日(日)泉のほとり

2013-11-23

世界祈祷週間をおぼえて -恵みを流す者になる-

  「わたしたちは神の同労者である。」 (コリント人への第一の手紙39) 

今年も世界祈祷週間のこの時期、世界に視点を向けてさまざまな問題を考え、祈る機会を与えられる恵みに感謝いたします。世界祈祷週間の始まりは1873年、米国の若き女性宣教師ロティ・ムーンが中国伝道のために身を捧げ、その支援として米国南部の女性たちが、ロティ・ムーンクリスマス献金を創ったことによります。日本では1931年、困難な生活の中、世界伝道の信仰に目覚めたバプテストの女性たちによって世界祈祷週間がはじまり、現在に受け継がれています。

 その頃の日本の国はいまだ貧しく、女性の地位も非常に低かったのですが、当時のバプテストの婦人たちは、その現実に埋没することなく、世界伝道の幻を抱きつつその活動を受け継ぎ、今日まで続けてきました。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という主イエスのみ言に忠実であろうとしたことに他なりません。最初の献金は、母子家庭のための授産場の支援に捧げられましたが、今や 日本を含め、タイ、シンガポール、インド、ルワンダなど各地へと、その活動は文字通り世界へ拡がっています。

  今年の連盟総会でスチュワードシップを諸教会が行うことを目指すことを強調していました。「スチュワードシップ」とは自分が最後の恵みの受け手にならず、恵みを流すことだと言うのです。私たちは恵みの受け手の最終者とならずに恵みをさらに豊かに流す者へとなりましょう。     牧師 林健一

11月10日主日礼拝メッセージ 満足のない競争をやめてください 創世記30章1~13節(抜粋)

2013-11-11

再び創世記に戻ります。ヤコブは伯父ラバンの計略により、ラバンの姉妹を妻として迎えます。前回はヤコブに疎まれた姉レアを主がかえりみて子を与えたというところまで読みました。

おもしろくないのは妹ラケルです。自分こそがヤコブに愛されていることに誇りを持っていました。しかし、夫ヤコブの間に子どもが生まれないことに姉レアを妬みました。人間というものは、すべてを自分のものにしないと満足しない。嫌、渇いて渇いて仕方がないのです。ヨハネの福音書には水を汲みにくるサマリヤの女性の話があります。イエス様は水を汲みに来た女性にこう言われました。

ヨハ  4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。ヨハ  4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。

 イエス様は人にはこの地上ものでは満たせないものがあると言われます。人は満たされない渇きを満たすために争うのです。ではどうすれば私たちは満足のない争いから解放されてほんとうに満たされることができるのでしょうか。

自分の限界を知り神さまに信頼してお任せする。

 信仰とは自分の願望を達成させるためにあるのではありません。神さまにゆだねて平安を得るためです。正しい信仰とは、自らの限界、それは弱さ、力のなさを神さまの前に素直に認め、告白しつつも、神さまから導きをいただくことなのです。「神さま、どうか私を憐れんでください」と神さまの憐れみと助けを求めることです。そうすれば私たちは平安をいただき心に満足が与えられます。

 けれども私たちはそうでなく、主に祈れば不可能は可能になると自分にとって都合のよい信仰を持つのです。神さまは全能なるお方です。ですが私たちが全能であるということではありません。信仰とは全能なるお方を信頼して、欠けのある人すなわち私をお任せするということなのです。

人生の正しい目標を定めましょう

本当の幸せとは競争することでなく、正しい人生の目標を定めて最善を尽くす人に、しっぽのようについてくる結果なのです。イエス様が示される正しい人生の目標とは、

「私が道であり、真理であり、命である」ヨハネ14:6

神さまを知ることで私たち一人一人に用意されている人生の意味と目的を知ることができます。ここに集います一人一人がむなしい競争から解放されてより善き人生の目標を得ることができますようお祈りします。

11月3日(日) 召天者記念礼拝 「天の故郷にあこがれて」

2013-11-05

「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、すまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそう言っておいたであろう。あなたがたのために、場所を用意しに行くのだから。」(ヨハネ14章1~2節)

 私たちは病気や災害など命を脅かすことのない日常生活では「生かされて」いるというよりは「生きている」という思いが強いのかもしれません。しかし、よくよく考えてみると私たちは「生かされて」います。食べ物をとおして命をいただいている。息をしている空気や自然をとおしても命をいただいて生かされているのです。「死」を目の前にしてはじめてそのことに気づく、いや気づかないで人生何だったのか?あるいは恐れつつ死んでいく人もいるのではないでしょうか。しかしイエス・キリストは「死」で人生が最後ではないことを約束されます。「私の父の家」には住まいがたくさんある。イエス様が言う「父の家」とは父なる神さまがおられる場所です。父なる神さまは永遠であり、はじめであり、終わりであると言われるお方です。このお方のおられる場所に用意ができたら迎えに来るのだと約束して下さいました。この地上の人生で私たちの人生は終わるのではありません。永遠なる父なる神さまがおられる場所で新しい人生がはじまるのです。

祈祷会メッセージ 詩篇146編 人に頼るな

2013-10-31

146:3 もろもろの君に信頼してはならない。人の子に信頼してはならない。彼らには助けがない。
146:4 その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる。
146:5 ヤコブの神をおのが助けとし、その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。

この人なら心配ない。頼りになると思っていたのに裏切られたり、当てにならなくなってしまうことがあります。人を頼りにすることは(相手に無理をお願いするような)ものである。相手も同じ人間なのにスパーマンや完璧な人だと思い込んでしまうことに間違いがあります。詩人はヤコブの神をおのが助けとする人は幸いである。と呼びかけます。「幸い」とは平安で安心だということです。神様はあなたを最後までしっかりと導かれるお方です。

週報 教会学校月間 -神の言葉を学ぶ機会はすべての人に与えられている-  

2013-08-31

「信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」(ローマ10:17)  

 バプテスト連盟では9月を「教会学校月間」として教会学校の働きと意味を特に学び、知る機会としています。この月は各クラスの活動、様子などが紹介されます。自分が学んでいるクラス以外でどのような活動、交わりをしているかを見る機会は私には楽しい時でした。  バプテスト教会の「教会学校」の位置づけは教会形成の中でも重要な位置をしめています。子どもから成人まで「教会学校」があることに驚きました。どのクラスも聖書の学びを生き生きとしていることにここには何かあると感じました。お互いに聖書について語り合い、御言葉から教えられたこと、生活の中で体験した恵みなど、豊かな分かち合いをしたことを覚えています。  「教会学校」の素晴らしさは、すべての人に開かれていることです。 神の言葉を学び、知る救いの機会はすべての人に与えられているのです。   牧師 林健一

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