鮫バプテスト教会| JR八戸線 鮫駅からすぐの明るい教会です

八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

Archive for the ‘祈祷会’ Category

5月3日 いずみのほとり

2015-05-02

 祈り -神様と出会うための扉―  ③立派な祈りなど必要ない

 「御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」(ローマ人への手紙826節)

 ・私たちは祈るときにどのように祈ったらよいかわかりません。当然のことです。神様を知らなかったし祈ったことがないのですから。ですから始めから祈れるわけではないのです。

私たちはどう祈ったらよいか分からない。それが私たちの本当の姿だと思います。そのことを、神様もよく知っていて下さる。そして神の霊である御霊が、そのことをご自分もまた言葉に言い表すことも出来ないほどの、祈りの言葉も見つからないほどの切なるうめく思いをもって見守り、そのためにとりなしていて下さる。そうすると、私たちの心が、あるものに縛り付けられていたような思いから解き放たれると思います。

・私たちは、どう祈ったらよいか分からない、それが本当の姿です。しかし、そうかといって、祈らなくてよいということではありません。どう祈ったらよいか分からない自分をよくわきまえることから、私たちは祈りの言葉を見出すようになるのです。      牧師 林健一

1月4日 いずみのほとり

2015-01-03

「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない、また、いにしえのことを考えてはならない。」(イザヤ書4318節)

  新しい年を迎えて私たちは歩み出しました。目標を立ててあれも、これもしたいと思います。ですが、気をつけないと失敗や、挫折したことをやり直したい、取り返したい気持ちが先走ってしまい、同じことの繰り返しになることがよくあります。

クリスチャンの人生の歩みはやり直しではありません。まったく新しい始まりの連続です。神様は私たちに及びもつかいない方法で新しい歩みを与えて下さいます。私たちがクリスマス献金をお献げしている「止揚学園」の創立者であられる福井達雨先生(82歳)が『止揚』122号で信仰の歩みについてこう書かれていました。

『人間は誰でも(自分は一人ぼっちやないのかなあ)という孤独感を持っています。しかし、若い時は、「若さ」というエネルギーでその心をつつむことができます。齢をとってくると包むものが弱くなってきて、その包みを破って心の奥深くに存在していた寂しさが一気に吹き出してくるのだと思います。…途中省略… さて、老人になり、この様な思いの中で寂しさを静め、前向きになれるのは人間の知恵や力では無理だと思います。この頃、(希望を捨てず、一歩一歩と前に進む勇気を創り出してくれるものは信仰以外にはあらへん。僕はイエスさまに信仰を与えられて、ほんまによかったなあ)と思い、感謝することが多くなってきました。』人生は失うことがばかりです。しかし、信仰の歩みはいつでも新しいものです。   牧師 林健一

10月19日 週報 泉のほとり

2014-10-18

 私たちを幸せにするものはあるのか?

「わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。」

(ヨハネによる福音書1010節) 

私には理解できないことがあります。美味しい食べ物を紹介するグルメ番組などで人気のお店にたくさんの人たちが行列をつくって1~2時間も待っている姿です。私には理解できませんが、きっとその人には幸せなで豊かな時間を過ごしているのではないかと思うのです。

韓国の野外ライブでアイドルをもっと近くで見ようとした観客が換気口の覆いの上に乗り、重みに覆いが耐えきれずに崩落する事故で若い人たちが亡くなったニュースが報道されていました。

たかがアイドルごときで大切な命を失うなんてと思うかもしれませんが、若者たちにとってこの時が心躍る時間だったのかもしれません。

私たちは、自分の力で豊かに、幸せになろうとしています。しかし、自分の力でできるのでしょうか?神が私たちの世界に来られたのは、私たちを真に豊かに、幸せにするために来たのだと聖書は語ります。真の幸せとは、人生の豊かさについて神様からの声に耳を傾けていきたいと思います。                     牧師 林健一

10月15日(水) 夜の祈り会 マルコ6章30~44節 「安物買いの無駄遣い」

2014-10-16

するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。 (マルコ6章38節)

まあ、私たちは能力がなければ、年を取っているからなど無駄な言い訳をして教会の奉仕から、あるいは社会のなかでも責任逃れをしようとします。こういうことを言いますと「また、余計なことを言う」と憎まれそうですが人間は重荷を負わないでいいとこ取りをする性質があります。そもそも、これが罪人の性質でしょうか。「いいとこ取りして何が悪いの」「キリストさんはすごいことですこと」と嫌みの一つでも言われそうです。

ですが、私たちの不幸、満たされない、何を得ても満足できない。その心は与えることをしないことが根底にあるのです。神様は私たち人間を分かち合う存在。与えられた恵みを他者に広げていくことでより豊かになるようにとされたのです。神様がそのような方だからです。最初の人間アダムとエバは神様から与えられた恵みを一人占めしようとして、さらに神様からすべてを横取りしようとしました。ここから人類の不幸が始まったのです。貪欲は得られないばかりかすべてを失わせます。

神様は私たちが差し出したわずかなものを豊かにしてくださるのです。多くの人がイエス様にいやしや恵みを求めて集まってきました。しかし、自分の持っているものを委ねようとした人はいませんでした。私たちはバーゲンセールで血眼にして多くのものを得ようとします。けれども、どれも安物ゆえに使い物にならず捨ててしまう。神様との関係においてもそうならないよう祈り求めてまいりましょう。

10月12日 週報 泉のほとり

2014-10-11

神様があなたに論じ合おうと語って下さる。

「主は言われる、さあ、われわれは互に論じよう。たといあなたがたの罪は緋のようであっても、雪のように白くなるのだ。紅のように赤くても、羊の毛のようになるのだ。」(イザヤ書1章18節)

本日は小運動会です。常日頃、体を動かすことがない私はあらためて運動の必要と大切さを痛感します。だからといって翌日から運動を始めるわけでもなく、のらりくらりと過ごしてしまうのです。

信仰生活も同じだなと思います。一日が終わって、夜寝る前、心静めて神様の御前に自分はどう一日を過ごしてきたのか?明日はどういう一日を過ごすのか。と目標に向けて計画し、歩んでいくことが必要だと思います。

イザヤ書1章で神様はイスラエルの民に向かって言われます。論じ合うではないか。驚くべきことではないでしょうか。神様が私たち人間と論じ合って下さるのです。どんなことでも神様は聞いて論じ合ってくださる。全能の神様は私たちに向き合ってくださる方なのです。

牧師 林健一

10月8日(水) 夜の祈り会 マルコ6章14~29節 「力は欲しいが責任は欲しくない」

2014-10-09

ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 このヘロデは、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤをめとったが、そのことで、人をつかわし、ヨハネを捕えて獄につないだ。 (マルコ6:16~17)

 イエス様は12弟子を派遣されました。それは神の国の到来を告げ、救い主を待ち望んでいる人々に真の王・救い主が来られたことを知らせるためでした。しかし、ここにも王になることを欲していた人物がいます。国主ヘロデでした。彼は父ヘロデ大王の息子でした。ローマは彼に王としての称号を与えることを拒みました。

ヘロデは、彼の悪行兄弟ピリポの妻ヘロデヤを強引に自分の妻とした。そのことにバプテスマのヨハネは批難したのです。バプテスマのヨハネは首をはねられてしまいます。聖書には記されていませんがヘロデの最期は哀れなものだったようです。

真の王はただ一人なのに、ヘロデのように王になりたい。私たち誰もが心の底に持っているものです。それゆえに人に仕えることができません。私たちが人に忍耐できないのは王になりたい。力は欲しい。思うがままに人を支配したい。ただそれだけのことなのです。しかし、それだけのことが長い歴史のなかで数えきれないほどの悲劇をうみました。

真の王はただお一人だけです。イエス・キリスト。このお方だけが真の王としての責任を果たすことができるのです。現代には力は欲しい。だが責任は欲しくない。そのような身勝手な権力者が我が物顔で人々を支配しています。教会は真の王イエス・キリストの支配を心から祈り求めなければなりません。

10月8日(水) 昼の祈り会 箴言10章 「正しいことばは一日にしてならず」

2014-10-09

正しい者のくちびるは多くの人を養い、愚かな者は知恵がなくて死ぬ。 (箴言10:21)

正しい者のくちびるから出ることば多くの人に活力をあたえ、生きる希望を与えます。私は力強い語り口でなめらかに話しができる人を見て自分もああいうふに自信を持って人前で語ることができたらなと思っていました。

しかし、必ずしもことばと行動が一致するとは限らず、反対に語ったことばが人の信頼を失わせることがあることを教えられました。ことばと行動が一致してこそ、ことばに重みがでるのだと思います。

市内の牧師会で訪問したときのことです。訪問した教会で牧師の書斎を拝見させていただきました。いろいろな翻訳の聖書、注解書、聖書辞典などこれぞ牧師の書斎と思いました。長い年月をかけてそろえてこられた牧師としての歩みを見ることができて、感謝と共に学び続けることの大切さを教えられました。

付け焼刃でない積み重ねこそ、本物の信仰者としての味がでる。一日一日が大切だということを教えられます。

 

10月5日 週報 泉のほとり

2014-10-04

敷居が低すぎて教会に入れない

「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」(ピリピ人への手紙267節)

「敷居が高くて教会に入れない」という声を聞きます。そうでなくて「敷居が低すぎて教会に入れない」のです。日本人は謙遜で腰が低いといいます。しかし、世界万国共通している人の姿はプライドが高く、神様の御前にへりくだることを頑なに拒否しているのが人間であると聖書は、はっきりと宣言しているのです。

低くしゃがむことで見えてくる神様の世界があります。それでも私たちは神様の御前にしゃがむことができないのです。しゃがめば自分が惨めにされると思うのです。この世界ではしゃがめば負け、どれほど人を自分の前に跪かせることができるかで人生は幸せかが決定するのです。「何、今さらわかりきってること言ってるの」「当たり前じゃないの」 「そんなこともわからないの、馬鹿みたい」という声が聞こえてきそうです。しかし聖書の神様はへりくだることを恥ずかしいと思わず反対に喜んで私たちのためにしてくださった神様です。   牧師 林健一

10月1日(水)夜の祈り会 マルコ6章14~29節 結論は最後までわからん

2014-10-02

さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 (マルコ6:14~16)

 私たちは、後から取り返しのつかないことを犯してしまったことに悔いることがよくある。ヘロデ王はバプテスマのヨハネを処刑してしまったことを悔やみ、かつ良心の呵責に苛まれていた。そんなに後悔するなら最初からしなければいいと誰もが思うとこだが、そこが人間の弱さであり、愚かなところではないだろうか。
 また、犯した過ちを取り繕うとして、さらに傷口を大きくしてしまうことも人の愚かさであろう。結局のところ人間には人生の修復はできないのだということを知らなければならない。人間には不可能だと謙虚に認めたときに神様の救いが見えるのである。
 「なぜ、こんなことが」と言っているうちは自分の手から離れていないのである。私たちは生まれるときも自分の意思で生まれてきたいと思ったわけではない。創造主の御手のなかで命をあたえられたにすぎない存在なのである。「どうして」なんて言わずに神様に結論までもおまかせできる関係をつくっていくことに私たちの平安がある。

10月1日(水) 昼の祈り会 箴言10章 「あなたが人生に喜びを見いだせるように」

2014-10-01
諭しを守る人は命の道を歩み/懲らしめを捨てる者は踏み誤る。 (箴言10:17)
 
 神様を信じれば信じるほど悩みが多くなる。人間は悩んでいいものだ。という牧師、宗教者がいます。悪いとはいいませんが、私たちにはそんな余裕はありません。人生のなかに苦しみ、痛み、悲しみが数多くあるのです。解決できない人生の矛盾があるのです。なぜあんないい人が、なぜあのようにすばらしい家族が悪鬼のごとき人たちに食い物にされてしまうのか。多くの憤りが私たちの周囲にあふれています。
 箴言は父親が我が子を教訓と戒めによって正しい、いのちの道を見いだせることを願い語りかけています。神様も私たちに対し正しい、いのちの道を見いだせることを願い御言葉をあたえてくださっているのです。律法は厳しい、神様の言われることはなんとも厳しいといいます。そのくせ神様になぜこんなことが、と文句をいう。結局のところ私たちは、自分勝手で救いようのない哀れな存在だということを、いやというほど知らされるのです。そのような苦しみから解放されるのは神様の道に沿って歩むことしかないのだということを知ります。どうかあなたが人生に喜びを見いだせるように神様の道を歩まれることを願います。
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