鮫バプテスト教会| JR八戸線 鮫駅からすぐの明るい教会です

八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

Archive for the ‘メッセージ’ Category

クリスマス礼拝メッセージ 『あなたの上にも星は輝く』 マタイ2章1~12節

2012-12-25

彼らは王の言うことを聞いて出かけると、見よ、彼らが東方で見た星が、彼らより先に進んで、幼な子のいる所まで行き、その上にとどまった。彼らはその星を見て、非常な喜びにあふれた.  (マタイ2:9~10)

救い主イエス・キリストは人の子としてこの世界にお生まれになられました。救い主イエスさまに最初にお会いしたのは羊飼いと東方の3人の博士たちでした。

星が博士たちをイエス・キリストへと導きました。神さまはすべての人を救い主イエスへと導くのです。星はあなたの上にも輝いているのです。

2012年12月16日主日礼拝メッセージ アドベント第3主日

2012-12-17

『神さまはあなたの涙を知っている』マタイ2章13~18節

神さまがこの世界にひとり子である救い主イエス・キリストを贈って下さったのは目的があった。

彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである(マラキ4:6)

父の心と子の心が向き合い、憎みいがみ合っていた両者が和解することができるようになるためである。私たちの関係にはなんと敵意が満ちていることだろう。いたるところで敵意がある。和解の言葉を伝えても敵意を持って向かってくる。あるいは心かたくなになり相手の存在を否定する。なんと悲しいことか。

救い主の誕生を知ったヘロデ王はイエス様を亡き者とするためにベツレヘムに生まれた2歳以下の男の子を殺せと命令を下す。神さまが和解のために送ってくださったイエス・キリストを否定するのである。そこには愛もなければ救いもない世界である。私たちはどうだろうか?クリスマスを迎えるこのとき、神さまへの敵意をより増大させ救いを愛を否定するのか。それとも神さまの愛を信じて赦しと和解の世界に入っていくのか求められている。

 

2012年12月14日(金)女性会クリスマス会メッセージ ルカ2章57~66節

2012-12-14

彼は父の心をその子供たちに向けさせ、子供たちの心をその父に向けさせる。これはわたしが来て、のろいをもってこの国を撃つことのないようにするためである(マラキ4:6)

神さまのことなど信じない。本当にいるの。そう思うのが当たり前だという人が大半である世の中です。ですが心のどこかでは神さまを求めている私たちがいるのではないでしょうか。

『サッカーで子どもがみるみる変わる7つの目標』池上正著のなかで最近の子どもたちは人の話を聞けなくなっている。脳には自分を守りたいという自己保存の本能がある。しょっちゅう叱られている子どもは自分をストレスから守るために自己保存の本能が働いて人の話を聞くことができなくなってしまう。読んでいて悲しく感じました。私たちが住んでいる世界はあまりにも憎しみや怒りがあふれている世界です。現代人が孤独になり心を閉ざしてしまうことも当然です。

しかし、愛のない世界に神さまは私たちが安心して心を開くことができるようにイエス・キリストを送って下さいました。不安や恐れに怯えて心を閉ざさなくていいのです。神さまはあなたを責めるのではない愛しているのです。

2012年12月9日(日)主日礼拝メッセージ 

2012-12-12

マタイによる福音書1章18~25節 『ひとりで苦しまないで神を求めよ』

『彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。』   (マタイによる福音書1章21節)

教会ではクリスマスに「クリスマスカード」を送る習慣があります。親しい人たちと互いにイエス・キリストの誕生の喜びを分かち合うためです。分かち合うことで更なる喜びがあります。人は分かち合うことで何かを得るように造られた存在だということです。現代は孤独の時代だといいますが人は神に支えられなければ生きていけない存在なのです。

救い主イエス・キリストはヨセフとマリヤの人間の夫婦から生まれ家庭のなかで成長していきました。なぜ神が人間のなかに生まれてくる必要があったのか?さまざまなことがいわれていますが本当のところ神に聞いてみなければ誰もわからないことです。ひとつ言っていることはイエス・キリストは人間の罪を救うために来られたということです。神が人となって来られた。ことは私たちがどんなことで苦しみ、傷んでいるのか知るためではなかったのでしょうか。『人は命だけではいきられない』佐々木炎著では介護の現実とともに人の素晴らしさについて語っています。これは人の生にふれてみてはじめてわかることです。ネットやメールなど便利な時代ですが人の傷みを知ることのできない弊害も出ています。聖書の神は他の神々のように人間が来るのを待つのでなく人間のもとに来られました。私たちのそばに神が来て下さったのです。

                                                         

2012年12月9日主日礼拝の案内 降誕節第二主日

2012-12-08

12月9日(日)午前10時30分~

メッセージ『クリスマスの楽しみ方ー1』

マタイによる福音書1章18~25節

どなたでもお越し下さい。お待ちしています。

教会学校は9時からです。

12月6日(木)女性会の集まり メッセージ「自己嫌悪から神賛美へ」

2012-12-06

今日の女性会の集いでは世の光http://jbwu.org/を読んで皆さんと感想を語り合いました。

明日の野田村仮設ボランティアのサンタブーツの袋づめをしました。

次回は12月14日(金)10時~です。クリスマス会をします。

「自己嫌悪から神賛美へ」 「私の魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主なる神をたたえます。」(ルカ1:46~47)

・クリスマスはイエス・キリストの誕生をお祝いする日です。教会ではイエス様の誕生を盛大にお祝いします。争いや憎しみの絶えないこの世界を神さまはイエス・キリストをとおしてお救いになられます。「私の魂は主をあがめ」クリスマスで歌われるマリヤの賛歌です。

・別名「マグニフィカート」とも呼ばれ教会の礼拝で賛美されてきました。あがめる。これは大きくする。神さまを大きくする。マリヤは自分のこと以上に神さまを大きくしました。私たちの心の中には人間関係や仕事、生活のことなど様々な心配ごとでいっぱいです。それは私をいっぱいにしているからではないでしょうか。自分のことが大切で、自分のことが気になって、自分のことで心がふさがってしまうのです。自分で自分が嫌になってしまう。でもあなた以上に神さまがあなたを心配し、愛していることを知ってほしいのです。どうか、自分を見つめて嫌になるのでなく神さまがあなたを愛しているのだという喜びを知る機会として下さい。

 

私たちはひとりではない。主がともにおられる。12月2日のメッセージから

2012-12-03

それゆえ、主はみずから一つのしるしをあなたがたに与えられる。見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる。(イザヤ7:14)

アドベントに入りました。アドベントの醍醐味は待つことです。喜びながら待つ、でも最近は待つことに喜びを感じることができなくなってきました。反対に失望することが多いからだと思います。日本の政治にしかり、子どもたちが大人になることに夢が持てなくなってしまう時代私たちは待つことに夢を持つことができるのでしょうか?

イエス様が生まれる約700年前の時代もそのような時代でした。神さまはアハズ王に救いを求めよ。しるしを求めよ。と語られます。でも失望してばかりのアハズは神さまに求めることができなかったのです。私たちも求めることができない。しかし神さまは逆にアハズに対してしるしを与えられます。インマヌエル(主がともにおられる)でした。

クリスマスのメッセージは「もう一人にならなくていいよ」と神さまが私たちとともにいてくださる。ことなのです。私たちは一人では生きていけません。一緒に喜びも悲しも不安も恐れもともにいてくださる神さまと分かち合うことができます。

祈り会メッセージ 8月1日 詩篇118篇-1

2012-08-02

詩篇は118篇に入りました。

今日は118篇6~7節の御言葉に注目したい。

「主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。
主は、私を助けてくださる私の味方。私は、私を憎む者をものともしない。」

詩人は告白する。神さまが私の味方なら人は私に何ができるだろうか?いや何も害を加えることができないのだ。と本当でしょうか?確かに本当である。ここでいう「人は、私に、何ができよう。」私たちはまわりからいろいろな影響を受ける。良い影響も、悪い影響もその中で自分の行き方が方向づけられていく。よく聞く言葉に「私は私」と言っている人がいるが、そんな屁理屈は捨てたほうがいい。人間は必ず何かしらの影響を受けて生きているのだから、謙虚になって私は何を持って生きていくのか、ということを真剣に考えるなら全知全能の神さまから知恵と力を受けて人生を歩むことの幸せを知るのではないだろうか。

7月25日(水)祈祷会メッセージ 詩篇117篇より

2012-07-26

詩篇117篇はわずか2節だが、その2節の中にどれほどの宝が隠されているのか知る人は少なくない。イエス様は福音書で

「天国は、畑に隠してある宝のようなものである。人がそれを見つけると隠しておき、喜びのあまり、行って持ち物をみな売りはらい、そしてその畑を買うのである。」(マタイ13:44)土に埋もれているゆえに人々は見向きもしない。しかし宝を見つけた人は本当に幸せだというのだ。今日の詩篇には「もろもろの国よ、主をほめたたえよ。もろもろの民よ、主をたたえまつれ。」2節。神さまはすべての人々を呼んでおられる。どんな人でも神さまに呼ばれているのだ。しかし、人々はその恵みの大きさに気づかない。私は特別な経験をさせていただいたことがある。東京の護国寺で開催されたお茶会に出席させて頂いたのだ。およそ縁遠い私がこのような素晴らしいお茶会に出ることなど考えられないことなのだが、友人と一緒に行くことで招きを受けることができたのだ。

イエス様をとおして神さまに招かれることは、私が行けないであろう恵みの中へ招かれることなのだ。イエス様をとおして多くの人が神さまの恵みの中へ招かれることを祈りたい。

 

 

祈り会メッセージ 詩編116編 かみさまはよくしてくだる

2012-07-05

わが魂よ、おまえの平安に帰るがよい。主は豊かにおまえをあしらわれたからである。詩編116:7

死を覚悟するほどの苦しみのなかで神さまに祈ります。神さまは詩人の祈りに答えられました。詩人は自分に語ります。かみしめるように。「主はよくしてくださった。」誰も詩人を助けることができない状況のなかで神さまだけが詩人を救うことができました。

神さまを信じればなにごともなく平安に一生を過ごすせる。私たちが願う切実な祈りです。ですが、最近私は考えさせられるのです。苦難がないことがほんとうの幸せにつながることなのだろうか?困難や躓きがなければそれはそれで幸いですが、困難や躓きがなければ私たちは幸せになれるのでしょうか。

未来日記というドラマのなかで、主人公はバーチャルから現実に戻るか選択を迫られます。「現実にはたくさんの辛いことが待っているのにどうして戻るの」という言葉に主人公はこう答えるのです。「たくさんの辛いことがあるが、だからこそ生きていくんだ」と主人公は自分を犠牲にしても恋人を現実の世界に戻すことを決断するのです。

私は教えられるのです。苦難は苦難で終わらないのだと、そこには神さまとの出会いがあり、たくさんの友との出会いがあり、かけがえのない出会いがあるのだと、詩編116編には苦しみのなかで神さまと出会った詩人の何とも言えない深くて誰にも奪うことができない人生の喜びの賛歌が刻まれているのです。

 

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