2017年3月12日「弱いわたしたちを導く主」ガラテヤの信徒への手紙5章16~26節(盛岡教会)
2017-03-13
聖書は神さまに従わない、己を神とする生き方を「肉」といいます。「肉」の性質を持った私たちは自分を治めることができるかといえばそうでなく「肉」の持つ欲に支配されるのです。自分がしたいと思うことができない。憎しみ、妬み、情欲などをコントロールすることができません。「肉」の欲に支配され、私の人生を滅ぼす結末が待っているのです。パウロはキリストに救われたクリスチャンは「肉」に支配される人生でなく「霊」に導かれる自由な人生が待っていることを教えるのです。「霊」とは神さまの霊、「聖霊」のことです。クリスチャンとは神さまに導かれ、神さまの御手の中で生かされる人生なのです。クリスチャンは自分の力、悟りに頼る人生ではありません。己の中にあるものを否定するのです。外から、それは神さまから来るよきものを受取る人生です。外から来るものを見つめましょう。求めましょう。忍耐して待ち望みましょう。これこそクリスチャンの生き方です。
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