5月3日 いずみのほとり
2015-05-02
祈り -神様と出会うための扉― ③立派な祈りなど必要ない
「御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。」(ローマ人への手紙8章26節)
・私たちは祈るときにどのように祈ったらよいかわかりません。当然のことです。神様を知らなかったし祈ったことがないのですから。ですから始めから祈れるわけではないのです。
・私たちはどう祈ったらよいか分からない。それが私たちの本当の姿だと思います。そのことを、神様もよく知っていて下さる。そして神の霊である御霊が、そのことをご自分もまた言葉に言い表すことも出来ないほどの、祈りの言葉も見つからないほどの切なるうめく思いをもって見守り、そのためにとりなしていて下さる。そうすると、私たちの心が、あるものに縛り付けられていたような思いから解き放たれると思います。
・私たちは、どう祈ったらよいか分からない、それが本当の姿です。しかし、そうかといって、祈らなくてよいということではありません。どう祈ったらよいか分からない自分をよくわきまえることから、私たちは祈りの言葉を見出すようになるのです。 牧師 林健一
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