週報 泉のほとり 7月27日
2014-07-26
キリストの香りを放つために
「しかるに、神は感謝すべきかな。神はいつもわたしたちをキリストの凱旋に伴い行き、わたしたちをとおしてキリストを知る知識のかおりを、至る所に放って下さるのであるわたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。」(Ⅱコリント2章14~15節)
ここでは、パウロは自らを「キリストのかおり」であると述べています。この「かおり」とは、ローマ時代において、戦争に勝利した将軍が凱旋する「凱旋パレード」で炊かれるお香の「かおり」を喩えに用いたものなのです。パウロが言わんとしたことは、何でしょうか?それは、私たちが置かれている場で、神様の愛を知るという経験・知識が、「キリストのかおり」となって、周りの人々に漂い、また、神様にとってもかぐわしいものだということなのです。
私たちはキリストの愛のかおりを放っているでしょうか。反対に周囲の人たちに怒りや憎しみという毒を放っていないでしょうか。この人がいるだけで周囲が黙ってしまい、何も言えない空気を漂わせていることがあります。知らないうちに周囲に毒を撒き散らしているのです。私たちはいつも「キリストのかおり」を放つために聖書に学び、祈らなければなりません。 牧師 林健一
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