7月31日(水)祈祷会メッセージ 詩篇136篇16~26節 「あなたに御心を留められる神」
イスラエルの民に荒れ野を行かせた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(詩篇136:16)
荒野を行かせられる神様
イスラエルの民はあのエジプトでの奴隷生活から自由にされて、神様がアブラハムに約束されたカナンの地へ旅立ちました。神様は不思議なことに、イスラエルの民を荒野のを通らせられました。お年寄りや女性、子ども、体の弱い人たちなど彼らはいったいどうしてあの過酷な荒野を通ってカナンの地へ行くことが出来るのでしょうか?しかし、荒野を通らせることが神様のイスラエルに対する御心でした。イスラエルの民が一人もかけることなくカナンの地へ行くためには神様の導きなしでは行けないことを彼らに教えるためでした。自分たちの弱さ、欠けを知ることで神様の前に従うことができるのです。彼らは荒野の中でも神様に対して不遜な態度を取りました。自分にまだできるという高ぶりがあるからでしょう。高ぶりの心は自分よりも弱い人たちに対し見下げ、愛を冷えさせます。神様が荒野を行かせられたのは、一人ひとりが弱さを知り、お互いに愛し合うことを教えるためでした。教会もそうであります。教会の礼拝は老若男女、様々な人たちで溢れています。自分の弱さを知っている者だけが本当に神様と出会うことができるのです。神様が見えないというならば、それは弱さを知らないのです。
低くされたわたしたちを/御心に留めた方に感謝せよ。慈しみはとこしえに。(136:23)
卑しい者に御心を留める神様
イスラエルにとっての神様は卑しい者に御心を留められた神様でありました。イスラエルはエジプトでの奴隷生活での卑しさを嫌というほど味わいました。卑しくされることほど辛いことはありません。現代においても卑しくされることが私たちの周りにはたくさんあります。いじめ、貧困ビジネス、性差別など人々は自分よりも何か劣るものを他人に見つけ卑しめようとするのです。そのような卑しめられた者を神様が御心に留めた。覚えた。それは神様の救いの開始を告げる言葉でした。聖書には神様が御心に留めた。という言葉がたくさん出てきます。ですが、最も偉大なことは神様が私たち一人ひとりに御心を留めていることです。どうかあなたにも神様が御心を留めていることを知って下さい。