2013年1月6日(日)主日礼拝メッセージ
『神のかたちに似せて造られた人間』 創世記1章26節~2章3節
秩序ある世界
聖書は神さまが天と地を創造されたと語ります。この世界にあるすべてのものは神さまによって創造されました。皆さんは信じられるでしょうか?この世界にあるすべてのものは偶然でなく目的をもって造られたのです。
ですから、すべてのものは神さまの目的に沿って命を与えられ生の営みをしています。ゴリラの世界でも秩序があります。本能にインプットされているのです。生まれたばかりの赤ちゃんゴリラは母ゴリラに育てられますが、大きくなると次第に母ゴリラから離れ群れの中で生きるようになります。誰からも教えられたわけでもないのに自然にそうなるのです。
ゴリラの世界でも本能に沿って生きているのに人間は違います。人間はいろいろと左右されます勤勉にもなれば怠けもします。心があるからです。人間には自分の意思で自分の人生を決めることができます。では心は偶然に生まれるものなのでしょうか。そうではありません。人間も神さまによって目的をもって創造されました。ではどのような目的を持って造られたのでしょうか。
①神さまの代理人としての使命を与えられた存在である。
創世記1章26・27節「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。」
人間がどのように創造されたのか経緯が書かれています。創世記のはじめに天地創造の由来が書かれています。人間は最後に創造されました。人間が他の被造物と違うのは神さまのかたちに創造されたことです。
②神さまの祝福を受ける存在として造られた。
人間はただ神さまの代理としてこの世界を治めるだけの者として創造されたのではありません。神さまは人間が自分自身のために豊かに生きていくことを目的としていくために造られました。人間は神さまの祝福に応答できる存在なのです。
1:28 神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
③神さまの安息に入る者として造られた。
神さまは天地創造の業を完成された日の第7日目を聖なる日とされすべてのものが安息に入ることを守るようにと定められました。
2:1 こうして天と地と、その万象とが完成した。 2:2 神は第七日にその作業を終えられた。すなわち、そのすべての作業を終って第七日に休まれた。 2:3 神はその第七日を祝福して、これを聖別された。神がこの日に、そのすべての創造のわざを終って休まれたからである。
神さまからの安息はレクリエーション(再創造)と罪からの贖いと解放を受けるときです。神さまからの安息の祝福をうけるときこの世界は平安と喜びに満たされます。安息は日々の労働や営みを中断し、神さまの御前に静まり休まるときなのです。私たちは日曜日でもあれやこれやと忙しく過ごしています。せっかく神さまが与えて下さったレクリエーション(再創造)の恵みを落としてしまっているのです。 安息日はただ礼拝に行けばいい、守ればいいというものでなく、私たちが一週間の歩みのなかで受けた傷みや抱えている心の苦しみなど背負ってきた重荷を神さまの御前におろし平安を得るためのものです。私たちクリスチャンは今こそ安息日の意味を知り、神さまからの平安を頂こうではないでしょうか。
私たち人間はこのような素晴らしい神さまの御心において造られた存在なのです。神さまの目的のなかで歩まれ平安と祝福のなかを歩む者とさせられなければなりません。