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八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

8月9日 主日礼拝メッセージ 「偽善を捨てて行いの信仰へ」 ルカ6:39~49

2015-08-10

本日は「平和礼拝」として「平和」を願い祈る大切なときを神さまにおささげします。奇しくも本日は8月9日です。午前11時2分、長崎に原子爆弾が落とされました。広島につづいて人類最も悲惨な出来事がこの地に起こりました。

記録では73,384人という尊い命が失われました。東日本大震災で亡くなられた方は15,892人です。「神さまどうしてこんな悲惨なことが起きたのですか?」と訴えた私たちです。自然の脅威も恐ろしいですが、人間の犯す過ちがどれほど恐ろしいものであるかを私たちは知らなければいけないと思います。かろうじて生き残った人74,909人の方々が今でも放射能による被害を受け後遺症の苦しみの日々が続いています。歌手の福山雅治さんが「被爆2世」だと明かす記事が話題になりましたけども、福山さんが原爆の恐ろしさ、悲惨さ、なお苦しみ続けている人たちがいることを知ってほしいということで明かされたのではないかと思うのです。ただ「被爆2世、3世」というだけで女の子は結婚できない。近づいたら移るなど差別がある現実も知りました。

現在、福島の方々に対しても同じ偏見や差別が起きていることを知らなければなりません。原発事故による放射能漏れなどによる深刻な被害が起きていますが、福島出身と聞いただけで近づくな、移るなど心無い言葉が浴びかけさせられています。

 

聖書のつげる平和は、争いのない世界を指すのでなくもっと積極的なものです。何ものを欠如していない全く充実した状態。生のあらゆる領域にわたって神のみこころにかなった望ましい状態にあり、造られた命が幸いに満たされている様にあることなのです。私たちの住んでいる日本は、現在戦争をしていません。だからといって聖書が語る平和な状態でしょうか?また私たちの家庭は平和と呼べる状態でしょうか?自分の身近な人を犠牲にしての幸せは聖書では絶対にあり得ないことを語るのです。完全な平和とは、人間の努力によって実現するというものでなく、根本的に神さまから与えられるものなのです。

 

真の平和を私たちの人生につくり出すために「偽善を捨てて行いの信仰へ」と方向転換しなければなりません。そのためには私の姿がいかに偽善であるかを知らなければなりません。イエス様は私たちをこうだと語ります。

 

6:39 イエスはまた一つの譬を語られた、「盲人は盲人の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。

6:40 弟子はその師以上のものではないが、修業をつめば、みなその師のようになろう。

6:41 なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか。

6:42 自分の目にある梁は見ないでいて、どうして兄弟にむかって、兄弟よ、あなたの目にあるちりを取らせてください、と言えようか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取りのけるがよい、そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるちりを取りのけることができるだろう。

 

人の欠点、身勝手な態度に我慢できない私に対してイエス様は言われるのです。まず、はじめに自分のなかにある梁を取り除きなさい。そうすれば兄弟のちりを取りのけることができるのだと。でも私はこうイエス様に言うのです。「だってイエス様、わたしは一生懸命やりました。なんで私がこんなにまで我慢しなければならないのですか。ひどいじゃないですか」

イエス様は「あなたが神さまを見て自分のなかにある丸太、それは罪、弱さ、恐れ、憎しみに気づき、神さまから取りのぞいていただかない限り、(それは神さまの愛に満たされる以外の何ものでない)ずっとその兄弟のちりを見て悩み、苦しみ、傷つき、憎み続けることになる。それでよいのか。私はあなたをそこから救うことができるのだが。と招いておられるのではないでしょうか。

「どうして私を愛してくれないの。ひどいじゃない」と一緒になって叫び続けていることには何の救いも、希望も見出せないことをイエス様の言葉によって私たちは悟らなければなりません。

私は神学生のときに同期の神学生に母の愚痴をこぼしたことがありました。いかに母が身勝手でひどい人であるかということを延々と語り続けたのです。彼は黙って聞いていてくれました。私が話し終わって満足したのか、その後彼は「君はお母さんのために祈っているかい?」と言われたときはっとしたのと同時に、彼に対して激しい怒りと憤りを感じました。自分のなかにある偽善を見抜かれたからです。母に対して愛があったかということと同時にイエス様に自分を愛ある者として変えていただくように祈り求めていたのか鋭く突かれたそんな経験でした。彼をとおしてイエス様が私に語ってくださった言葉だったのです。

 

6:43 悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。

6:44 木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。

6:45 善人は良い心の倉から良い物を取り出し。悪人は悪い倉から悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを、口が語るものである。

 

人間の身勝手さ、ずるさに対して愛で勝利していくことは大変難しいことであります。けれども、そこにしか私たちが自由にされない道があることも事実です。そして多くの人たちが愛によって勝利してきたことも事実です。負けてしまってはいけません。イエス様の十字架の真の愛を知らないならば愛で勝利する話など馬鹿らしくて聞いていられないでしょう。「イエス様の愛、何ふざけたこと言ってのんかね。」「馬鹿、馬鹿、なんて馬鹿なの」でもそういう人の人生は愚かで、ゴミを溜めているゴミ屋敷のようなもので悪臭を放ち、心から歓迎する人などいないのです。私たちはイエス様の愛によってこの世の暗闇、偽りに勝利しなければなりません。

 

東京新聞社会部で発行している「あの戦争を伝えたい」本のなかにキリスト教弾圧の記事が書いてありました。村上宣道先生の体験が書かれていました。牧師をしていた父が特高警察に逮捕されると「スパイの子には近づくな」と友だちもその親も態度を変え、村上先生は独りぼっちになりました。また親しくしていた教会の信徒たちでさえ、「もう、うちには来ないでほしい」と顔をこわばらせたそうです。教会は解散され十字架は目の前で塗りつぶされてしまった。

 

だれが本当の友だちで、だれが信じられる人なのかわからないそういう時代だったと言っておられます。そのような経験をした人たちが当時、教会関係だけでなく戦争に異議を唱えた人たちにたくさんおられることを知りました。

また、戦後特高警察であった人たちが取り調べをした人、家族のもとへ来て謝罪をしたということも聞きました。人間不信に陥っても当然と言える人たちが神さまの愛を喜んで伝えているのです。人から見て絶対不可能なことを神さまは為してくださるのです。私たちの心を真に神さまに向けるときに神さまが私たちに働いてくださるのです。

 

エゼ 36:26 わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。

 

ロマ 5:5 そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。

 

ですから私たちはどんな悪の前でも屈することはありません。私たちの心に働く神さまの愛と恵みを信じていきましょう。

 

6:46 わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか。

6:47 わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。

6:48 それは、地を深く掘り、岩の上に土台をすえて家を建てる人に似ている。洪水が出て激流がその家に押し寄せてきても、それを揺り動かすことはできない。よく建ててあるからである。

6:49 しかし聞いても行わない人は、土台なしで、土の上に家を建てた人に似ている。激流がその家に押し寄せてきたら、たちまち倒れてしまい、その被害は大きいのである」。

 

イエス様の言葉を聞いて行なうとはどういうことでしょうか?ただ聞いて行なうということではなくてイエス様の言葉に信頼して行なうということでしょう。イエス様との結びつきのなかで私たちの歩みは岩の上に建てられていくのです。行なわないということはイエス様を信頼していないということです。イエス様を信頼していないなら誰を信頼しているのか?突き詰めて言うと自分ではないでしょうか?自分がぐらつけばすぐにでも家は壊れてしまいます。土の上に家を建てるということはそういうことではないでしょうか。

しかし、イエス様はそのような家を建ててはならないと言われるのです。「あなたがたが建てる家は揺るがない家である。あなたがたの心は揺れる。ちょっとしたことが起こっても、それはひどい衝撃となる。涙が出る。耐えられなくなる。苦しくなるのです。しかし、なぜ、涙が出るのでしょうか。涙を流れるままにすることができるのでしょうか。主がここで建てるように求めておられる家そのものが揺るがないからです。 主イエスがここで語られる家は、われわれが叫んだって、泣いたって崩れない家です」

 

主イエス・キリストは私の言葉に聞いて従い行なう者はそのような強固な家を建てるのだというのです。あなたは「主よ、主よ」とただ呼びながら何もしないでいるのでしょうか?そうではなく主の御言葉に従って行なっていくのでしょうか。その違いであなたの人生は強くもなり弱くもなります。また真の平和をもつか、もたないのか分かれます。多くの教えより、日常での小さな実践が私たちの信仰の歩みには必要です。あなたの心が主の平和で満たされていないなら、生活のなかで御言葉に対する従順が不足している部分は、何なのかを主に示していただき真の幸いと平和を主からいただきましょう。


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