6月9日(日)主日礼拝メッセージ 創世記24章1~14節 神の御言葉を選択の基準とする人
2013-06-09
「 天の神である主は、わたしを父の家、生まれ故郷から連れ出し、『あなたの子孫にこの土地を与える』と言って、わたしに誓い、約束してくださった。その方がお前の行く手に御使いを遣わして、そこから息子に嫁を連れて来ることができるようにしてくださる。」(創世記24章7節)
アブラハムの人生は神をよりどころとする人生でした。人生のすべてにおいて神により頼めたわけではありませんが、彼の人生は一貫して神により頼んでいました。神により頼む人生は幸いです。どうしてでしょうか?たとえ私たちの持っているもをすべて失ったとしても神から与えられるものは尽きることがないからです。アブラハムはそれを身をもって体験しました。
現代は何かを失うことを極度に恐れます。それが自分のすべてであるかのように錯覚するのです。失うことを恐れるあまりかえって自分の命さえも縮めてしまいます。アブラハムは息子イサクの嫁を選ぶにあたり、第一に優先したのは神の約束でした。神の約束を次世代に受け継ぐことを第一としたのです。クリスチャンといっても何を第一としているか問われるような生き方をしていることがあります。神を第一とする生き方は人生を美しく豊かなものとしてくれます。
←「6月5日(水)祈祷会メッセージ 詩篇130篇 深い淵から」前の記事へ 次の記事へ「野田村仮設住宅訪問活動ボランティアのお知らせ」→