6月26日(水)祈り会メッセージ 詩篇133篇「イエス様がいてこそ教会」
2013-06-26
ダビデがよんだ都もうでの歌。見よ、兄弟が和合して共におるのは/いかに麗しく楽しいことであろう。それはこうべに注がれた尊い油がひげに流れ、アロンのひげに流れ、その衣のえりにまで流れくだるようだ。またヘルモンの露がシオンの山に下るようだ。これは主がかしこに祝福を命じ、とこしえに命を与えられたからである。(詩篇133篇)
都もうでの歌もあと134篇を残すまでとなりました。詩篇133篇は主にある兄弟姉妹がひとつになっていることの祝福と喜びを歌っています。私たちは互に言い争いせずに愛し合うことができたらと切に願います。ですがなかなか難しいようです。と言うよりも私たちはそもそも他者を愛することのできない者です。自分をこよなく大事に思う者です。神様はあえてそのような私たちを主イエス・キリストのもとへ招いて下さいました。私たちが神様にあって一つとなるただ唯一の方法は主イエス様の十字架を見上げ、主の贖いの御業を信じることのみで一つになることができるのです。
私たちはお互いを憎み、赦すことができないことを神様は知っていました。私たちが神様を愛せないこともご存知でした。私たちは神様を愛し、人を愛することのできる唯一の方法として主イエス様の十字架をお与え下さったのです。主の赦しの十字架を見るならば私たちの心は赦すことができます。教会に行きつつも十字架を我がものとしないがために赦しを知らない人たちがいます。教会の喜びは主イエス・キリストの十字架を共に見上げ、信じることにのみあるのです。
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