4月24日(水)祈祷会メッセージ 詩篇125篇 主があなたを支えてくださる
主に信頼する者は、動かされることなくて、とこしえにあるシオンの山のようである。
山々ががエルサレムを囲んでいるように、主は今からとこしえにその民を囲まれる。
これは悪しき者のつえが/正しい者の所領にとどまることなく、正しい者がその手を/不義に伸べることのないためである。
主よ、善良な人と、心の正しい人とに、さいわいを施してください。
しかし転じて自分の曲った道に入る者を/主は、悪を行う者と共に去らせられる。イスラエルの上に平安があるように。 詩篇125篇
主に信頼する者は、主がその人をささえてくださいます。主がささえてくださるのはあなた自身であり、あなたの人生であり、病気のときも、死の間際でも、また死を打ち破ってあなたを復活させてくださいます。主なる神様を信頼するとはあなたの生と死のすべてをささえてくださる御方を信頼することです。
主があなたをささえてくださることにおいて条件はありません。ただ信頼することが条件です。あなたがきちんとしているか。していないか、そんなことは条件に入りません。ただあなたが主を信頼できるかどうかにかかっているのです。今の日本は何でも自分で責任を負う、最後の人生までひとりで責任を負って生きなさい。という考え方に汚染されています。本来人はお互いに支え合い、助け合いながら生かされていく者として神様から造られました。それを神のように何でも自分で責任を負って生きなければならない。という生き方は必ず破滅をもたらします。まさに「自分の曲がった道に入る者」のように神様の御心に逆らっている、救われない、傷ついた、癒されない生き方を今の若者たちに大人は押し付けているのです。
神様は決してそのような社会をそのままにしてはおきません。ひとりの人生を踏みにじり支配するような社会は神様の裁きを受けます。とは言っても人間のように裁くのでなく、間違ったものを正しくする裁きです。「悪しき者の杖(支配)が正しい者の所領にとどまることなく」とあるように神様に逆らう者(自分の力だけで生きる者)を斥けます。真の王(愛と正義)が正しい者(主に信頼する者)たちを治めて下さるのです。私たちは自分で悩むまで、苦しむまで、追い詰められるまで生きる必要はありません。主の御心ではありません。主があなたを支えてくださるのです。