2013年4月21日 週報「いずみのほとり」より
「祈祷会の恵み」
「また、よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」。(マタイ18:19・20)
今年度はぜひ祈祷会に出席下さい。祈祷会は教会のいのちです。あのペンテコステの日、みんなが一緒に集まり、こころを合わせて、ひたすら祈っていたとき(使徒2:1)聖霊はくだった、と使徒行伝は伝えます。祈りから教会は誕生しました。キリストの教会は人間の欲求や思想から始まったのでもありません。出来上がったのでもありません。一方的な神様の恵み(プレゼント)です。そしてイエス・キリストの御意志によって教会は建てられたのです。
「夫たちよ、キリストが教会を愛し、教会のために御自分をお与えになったように、妻を愛しなさい。 キリストがそうなさったのは、言葉を伴う水の洗いによって、教会を清めて聖なるものとし、しみやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、汚れのない、栄光に輝く教会を御自分の前に立たせるためでした。 」(エペソ5:25~27)
今、キリスト教会が元気がない。人が集まらないなどと聞きますが、教会は今一度イエス・キリストの御心を謙り下って聴かなければなりません。根本の問題はクリスチャンたちが教会の主であるイエス・キリストのお言葉を聴かないことにあります。祈祷会はイエス・キリストのお言葉を聴き、キリストの願う者へと変えられていく場であります。祈りが豊かにされなければ教会が豊かにされることは絶対にないのです。反対に貧しくなるのです。
祈りは恵みです。 第一に祈るなら私たちの願いが神様に聞かれます。イエス様は約束されました。「あなたがたが心合わせて祈るならば、天の父なる神様はそれをかなえて下さるであろう」と。毎日の必要なことや助けなどを神様に持っていき共に祈りましょう。祈りをとおして神様がどんな小さなことでもお心をよせて下さることを知るのです。
第二にイエス様と親しくお会いできることです。「ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいると言われました。」イエス様は私たちが心合わせて祈るところにおられるのです。イエス様を信じるなら老若男女誰であってもお互いに心を合わせて祈ることができます。それができないならば私たちはイエス様を信じていないのです。自分を信じているのです。イエス様がいない教会?とならないよう今年共に集まり心合わせて共にお祈りしつつ神様の豊かな祝福をいただきましょう。 牧師 林健一