11月8日 泉のほとり
2015-11-06
いったい、だれなのだろう
「そこでヘロデが言った、「ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう」。そしてイエスに会ってみようと思っていた。」(ルカ9:9)
私たちは自分の犯した過ちに縛られます。誰が見ていなくても、法的に裁かれなかったとしても私自身が私を裁くのです。神様が人間の心に良心を植え付けてくださったのだと。同時に心の奥底に人間は神様によって裁かれるのだと。いう真理を私たちはわかっているのではなないでしょうか。それゆえに恐れるのです。
ヘロデは罪を厳しく指摘したバプテスマのヨハネを殺害しました。彼はイエス様の噂を聞き不安になり「いったい、だれなのだろう」ともしやヨハネが生き返ったのでは?と恐れるのです。
しかし、真に恐れなければならないことを彼は恐れませんでした。神様の裁きです。私たちは人の呪いや復讐を恐れますが同じ人間です。愚かにもおびえ恐れるのです。
ですが神様の裁きほど厳粛で恐ろしいものはありません。私たちの犯した罪を徹底的に裁かれるのです。主イエス・キリストの贖いがなければ赦される罪はない。私たちの罪を担われた十字架の贖いに感謝します。 牧師 林健一
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