11月10日主日礼拝メッセージ 満足のない競争をやめてください 創世記30章1~13節(抜粋)
再び創世記に戻ります。ヤコブは伯父ラバンの計略により、ラバンの姉妹を妻として迎えます。前回はヤコブに疎まれた姉レアを主がかえりみて子を与えたというところまで読みました。
おもしろくないのは妹ラケルです。自分こそがヤコブに愛されていることに誇りを持っていました。しかし、夫ヤコブの間に子どもが生まれないことに姉レアを妬みました。人間というものは、すべてを自分のものにしないと満足しない。嫌、渇いて渇いて仕方がないのです。ヨハネの福音書には水を汲みにくるサマリヤの女性の話があります。イエス様は水を汲みに来た女性にこう言われました。
ヨハ 4:13 イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。ヨハ 4:14 しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
イエス様は人にはこの地上ものでは満たせないものがあると言われます。人は満たされない渇きを満たすために争うのです。ではどうすれば私たちは満足のない争いから解放されてほんとうに満たされることができるのでしょうか。
自分の限界を知り神さまに信頼してお任せする。
信仰とは自分の願望を達成させるためにあるのではありません。神さまにゆだねて平安を得るためです。正しい信仰とは、自らの限界、それは弱さ、力のなさを神さまの前に素直に認め、告白しつつも、神さまから導きをいただくことなのです。「神さま、どうか私を憐れんでください」と神さまの憐れみと助けを求めることです。そうすれば私たちは平安をいただき心に満足が与えられます。
けれども私たちはそうでなく、主に祈れば不可能は可能になると自分にとって都合のよい信仰を持つのです。神さまは全能なるお方です。ですが私たちが全能であるということではありません。信仰とは全能なるお方を信頼して、欠けのある人すなわち私をお任せするということなのです。
人生の正しい目標を定めましょう
本当の幸せとは競争することでなく、正しい人生の目標を定めて最善を尽くす人に、しっぽのようについてくる結果なのです。イエス様が示される正しい人生の目標とは、
「私が道であり、真理であり、命である」ヨハネ14:6
神さまを知ることで私たち一人一人に用意されている人生の意味と目的を知ることができます。ここに集います一人一人がむなしい競争から解放されてより善き人生の目標を得ることができますようお祈りします。