10月5日 週報 泉のほとり
2014-10-04
敷居が低すぎて教会に入れない
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」(ピリピ人への手紙2章6・7節)
「敷居が高くて教会に入れない」という声を聞きます。そうでなくて「敷居が低すぎて教会に入れない」のです。日本人は謙遜で腰が低いといいます。しかし、世界万国共通している人の姿はプライドが高く、神様の御前にへりくだることを頑なに拒否しているのが人間であると聖書は、はっきりと宣言しているのです。
低くしゃがむことで見えてくる神様の世界があります。それでも私たちは神様の御前にしゃがむことができないのです。しゃがめば自分が惨めにされると思うのです。この世界ではしゃがめば負け、どれほど人を自分の前に跪かせることができるかで人生は幸せかが決定するのです。「何、今さらわかりきってること言ってるの」「当たり前じゃないの」 「そんなこともわからないの、馬鹿みたい」という声が聞こえてきそうです。しかし聖書の神様はへりくだることを恥ずかしいと思わず反対に喜んで私たちのためにしてくださった神様です。 牧師 林健一
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