10月1日(水)夜の祈り会 マルコ6章14~29節 結論は最後までわからん
2014-10-02
さて、イエスの名が知れわたって、ヘロデ王の耳にはいった。ある人々は「バプテスマのヨハネが、死人の中からよみがえってきたのだ。それで、あのような力が彼のうちに働いているのだ」と言い、 他の人々は「彼はエリヤだ」と言い、また他の人々は「昔の預言者のような預言者だ」と言った。 ところが、ヘロデはこれを聞いて、「わたしが首を切ったあのヨハネがよみがえったのだ」と言った。 (マルコ6:14~16)
私たちは、後から取り返しのつかないことを犯してしまったことに悔いることがよくある。ヘロデ王はバプテスマのヨハネを処刑してしまったことを悔やみ、かつ良心の呵責に苛まれていた。そんなに後悔するなら最初からしなければいいと誰もが思うとこだが、そこが人間の弱さであり、愚かなところではないだろうか。
また、犯した過ちを取り繕うとして、さらに傷口を大きくしてしまうことも人の愚かさであろう。結局のところ人間には人生の修復はできないのだということを知らなければならない。人間には不可能だと謙虚に認めたときに神様の救いが見えるのである。
「なぜ、こんなことが」と言っているうちは自分の手から離れていないのである。私たちは生まれるときも自分の意思で生まれてきたいと思ったわけではない。創造主の御手のなかで命をあたえられたにすぎない存在なのである。「どうして」なんて言わずに神様に結論までもおまかせできる関係をつくっていくことに私たちの平安がある。
←「10月1日(水) 昼の祈り会 箴言10章 「あなたが人生に喜びを見いだせるように」」前の記事へ 次の記事へ「10月5日 週報 泉のほとり」→