1月3日 泉のほとり
2016-01-01
「ただの嘆きの言葉ではなく」
「イエスは答えて言われた、『ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう。』」 (ルカ9章41節)
新しい年が始まりました。今年は正月休みも例年に比べれば短く物足りなく思った方もいるのではないでしょうか。イエス様は山でモーセとエリヤとで、エルサレムでのこれからの神のご計画について話しをされていました。
山を降りたイエス様を待っていたのは罪に満ちた現実の世界でした。一人息子が悪霊に取りつかれて苦しみの中にある。けれども弟子たちはこの親子を助けることができない。これがイエス様の戻ってきた世界の現実でした。
「なんという不信仰な、曲がった時代であろう」イエス様の言葉にはこの世に対する嘆きと憤りを見ることができます。それはこの世の罪という現実をまえにして私たちのように無力を嘆くのでなく、人間を苦しめる罪に対する怒りとそこからの贖いを決意する言葉だったのではないでしょうか。イエス様は決意を新たにしてエルサレムへの道を進んでいくのです。 牧師 林健一
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