10月15日(水) 夜の祈り会 マルコ6章30~44節 「安物買いの無駄遣い」
2014-10-16
するとイエスは言われた。「パンは幾つあるか。見てきなさい」。彼らは確かめてきて、「五つあります。それに魚が二ひき」と言った。 (マルコ6章38節)
まあ、私たちは能力がなければ、年を取っているからなど無駄な言い訳をして教会の奉仕から、あるいは社会のなかでも責任逃れをしようとします。こういうことを言いますと「また、余計なことを言う」と憎まれそうですが人間は重荷を負わないでいいとこ取りをする性質があります。そもそも、これが罪人の性質でしょうか。「いいとこ取りして何が悪いの」「キリストさんはすごいことですこと」と嫌みの一つでも言われそうです。
ですが、私たちの不幸、満たされない、何を得ても満足できない。その心は与えることをしないことが根底にあるのです。神様は私たち人間を分かち合う存在。与えられた恵みを他者に広げていくことでより豊かになるようにとされたのです。神様がそのような方だからです。最初の人間アダムとエバは神様から与えられた恵みを一人占めしようとして、さらに神様からすべてを横取りしようとしました。ここから人類の不幸が始まったのです。貪欲は得られないばかりかすべてを失わせます。
神様は私たちが差し出したわずかなものを豊かにしてくださるのです。多くの人がイエス様にいやしや恵みを求めて集まってきました。しかし、自分の持っているものを委ねようとした人はいませんでした。私たちはバーゲンセールで血眼にして多くのものを得ようとします。けれども、どれも安物ゆえに使い物にならず捨ててしまう。神様との関係においてもそうならないよう祈り求めてまいりましょう。
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