泉 の ほ と り 10月28日
2012-10-27
「救いはどこに」
「 わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。」(ルカ12:49)
主イエス・キリストはご自分が地上に来られた目的について冒頭の言葉を持って弟子たちに述べた。「自分は地上に火を投じるために」来たのだ。これは一体どういうことか?主イエスは私たちに救いをもたらすために来たのではないか?
『こころの友』11月号の今月の説教から引用したい。
「あるテレビ番組で。「女房(または亭主)に浮気されたら…感謝しなさい」と三輪明宏さん。「えっ」と会場がどよめいた。それはどうやらこういうことらしいのです。「深い反省」というものが難しい私たち。しかし振り返ってみれば、さほどの魅力もとりえも働きもない自分に、今日までよく…との思いが生まれてきませんか」
自分の世界が壊れて始めて人は「自分の力」でなく家族、友人、周りの人たちに支えられて生きて来られたことに気づかされる。神さまが愛し支えて下さったことに気づかされるのである。
自分の世界が壊れたと思っているなら、それは神さまがあなたを愛し支えてくださることを知るチャンスなのである。
牧師 林 健一
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