鮫バプテスト教会| JR八戸線 鮫駅からすぐの明るい教会です

八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

礼拝メッセージ 「夢は必ず成し遂げられます」

2014-07-27

聖書:創世記42章1~8節

42:1 ヤコブはエジプトに穀物があると知って、むすこたちに言った、「あなたがたはなぜ顔を見合わせているのですか」。

 42:2 また言った、「エジプトに穀物があるということだが、あなたがたはそこへ下って行って、そこから、われわれのため穀物を買ってきなさい。そうすれば、われわれは生きながらえて、死を免れるであろう」。

 42:3 そこでヨセフの十人の兄弟は穀物を買うためにエジプトへ下った。

 42:4 しかし、ヤコブはヨセフの弟ベニヤミンを兄弟たちと一緒にやらなかった。彼が災に会うのを恐れたからである。

 42:5 こうしてイスラエルの子らは穀物を買おうと人々に交じってやってきた。カナンの地にききんがあったからである。

 42:6 ときにヨセフは国のつかさであって、国のすべての民に穀物を売ることをしていた。ヨセフの兄弟たちはきて、地にひれ伏し、彼を拝した。

 42:7 ヨセフは兄弟たちを見て、それと知ったが、彼らに向かっては知らぬ者のようにし、荒々しく語った。すなわち彼らに言った、「あなたがたはどこからきたのか」。彼らは答えた、「食糧を買うためにカナンの地からきました」。

 42:8 ヨセフは、兄弟たちであるのを知っていたが、彼らはヨセフとは知らなかった。

 

創世記42章に入りました。ヨセフが見た夢が一歩ずつ実現へとむかっていきます。振り返ればアブラハム、イサク、ヤコブも夢を見て、夢に向かって生きた人でした。聖書は神様を信じる人、神様に出会う人は夢を見るのだと言っています。神様が夢を与えて下さるのです。神様が与える夢はどのような夢でしょうか?人間は自己目的の達成のために夢を持ちます。しかし、神様の夢は人の持つ夢とまったく違うものであることを聖書は私たちに語るのです。

カナンの地もききんが激しくなり、生活ができなくなります。そのためヤコブは、息子たちをエジプトに送って穀物を買って来させます。

ヤコブはただ顔を見合わせている息子たちに向かって次のように言いました。

42:2 また言った、「エジプトに穀物があるということだが、あなたがたはそこへ下って行って、そこから、われわれのため穀物を買ってきなさい。そうすれば、われわれは生きながらえて、死を免れるであろう」。

ヤコブが息子たちに言った「そうすれば、われわれは生きながらえて、死を免れるであろう」。という言葉に神様のヤコブとヨセフの兄弟たちに対する摂理を感じずにはいられません。

こうしてヨセフと兄弟たちは、20年の歳月を経て再会します。ここでは、ヨセフと兄弟たちの地位と身分、そして関係についてしっかりと描写されています。ヨセフはエジプトの宰相となり、彼の兄弟たちは彼のところに食料を買いに来た数多くの人々のうちのごく一部でした。かつて兄弟たちはヨセフを思いのままにしましたが、今はヨセフに食料を求めに来る立場になったのです。彼らは当然のようにヨセフの前に伏し拝みました。そんな彼らをヨセフはどんな思いで見ていたのでしょうか。

「かつて見た夢のとおりに、今兄たちが弟の私を伏し拝んでいる。二十年以上も前の夢の中ではっきりと見た光景が、今目の前で現実となっている。二十年の歳月の流れの中で、自分がエジプトに流され、エジプトの国の支配者となり、そうして大ききんが起こって…」。人間世界に起こるあらゆる営みを飲み込んだ形で、大きく神様の定められたゴールに向かって進みゆく不思議な導きの力に、ひとりヨセフはこのとき、感動していたのではないかと思われます。

そして、かつて神様が見せてくださった夢の意味に気づかされたのではないでしょうか。夢を見たばかりに兄弟たちから憎まれ、波乱万丈の少年、青年期を過ごしたヨセフでした。もしかすれば夢を憎んだかもしれません。しかし、兄弟たちを前にしてヨセフは神様が見せてくださった夢は家族の救いのため、この時のためだったのか、と胸にあつくせまるものを感じていたことでしょう。

思えば、アブラハム、イサク、ヤコブが見た神様の夢もそこにつながっていくのです。ヨセフはまだわかりませんが、後にヤコブと家族の救い、そしてイスラエル民族の救い、そしてイエス・キリストによる全世界の救いにつながっていくのです。神様が見せた夢は私たちの世界の救いのためなのです。神様の夢は自己目的達成のためでなく、この世界、私たちの世界の救いのためです。

私たちもヨセフのように神様の夢を受け止め理解したいものです。かつてヤコブが暮らしていたカナンの地は神様の夢でなく人間たちのエゴにまみれた夢のために多くの人たちの尊い命が今も犠牲になっています。

イスラエル軍が、今月の17日にガザ地区に侵攻してから約1週間がたち、イスラエルとガザとの境界線近くの市街地では、いまも、激しい戦闘が続いています。ガザ地区では、一連の戦闘が始まってからの犠牲者は815人になり、その大半が女性や子どもたちを含んだ一般市民です。

このような悲惨なことがどうして起こるのか?神様のためにといいながら殺戮を繰り返している。これは本当の神様の夢を知ろうとしないからではないでしょうか?己の願望を神様の夢に言い訳して自分たちの願望を達成しようとしているからなのです。

神様の夢は他者が幸せに生きることです。これが神様の喜びであり、私たちもまた神様の夢に生きるときに真の幸せを得ることができるのです。私のまわりが喜びに満たされるなら私も喜びに満たされるのです。

最後に「面倒だから、しよう」という本の中にある渡辺和子さんの私の選んだ生き方を読んで終わりにします。

「お前は、あまりにも現実的に物事を考えすぎて、夢がない」

私は若い時から、六歳上の兄によくいわれていました。

今、自分の生涯を振り返ってみて、たしかに私は夢を持つことなく、生きてきたように思います。それは、父も母も努力の人たちだったことに影響されたのかもしれません。一度も「夢を持て」といわれたことなく、ひたすら目標に向かって、「今」を確実に生きることを教えられて育ちました。

十代後半は戦争の中で過ごした日々でした。もしその時の私に夢があったとしたら、お腹いっぱいご飯を食べること、空襲警報が鳴るたびに防空壕に逃げこむことなく、夜ぐっすり眠ることぐらいだったかもしれません。

戦争に負けて、旧軍人の家は、恩給、扶助料の支給も廃止となり、経済的に苦しい生活を強いられました。その中で、医学部に進学した兄と私自身の学費をまかない、家族の生活費を稼ぐ唯一の人間として、私の二十代前半は、アルバイトと学業の両立に苦心する、夢のない生活でした。

大学卒業後、キャリアウーマンとして過ごした二十代後半も、夢を持つゆとりのない日々でした。でも、私は幸せでした。封を切らずに給料を渡した時の母の喜ぶ顔、職場での日々のチャレンジ、それらは充実した日々でした。三十代間際での修道会入会。私は、夢を持つことと無縁の生活を選んだのでした。

夢を持って生きることもすばらしいです。修道生活では夢でなく、神との一致を目標とする求道の日々が用意されていました。修道者となった私に許される夢は、いつの日か、主イエスのみもとに呼ばれ、そこで永遠のいのちを生きるということだと思っています。

お祈りします。


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