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八戸市鮫町の日本バプテスト連盟所属のキリスト教会です

2013年4月7日 主日礼拝メッセージ

2013-04-09

「聖霊を受けよ」 ヨハネによる福音書20章19~29節

 20:19 その日、すなわち、一週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。 20:20 そう言って、手とわきとを、彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ。 20:21 イエスはまた彼らに言われた、「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。 20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。 20:24 十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。 20:25 ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。 20:26 八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。 20:27 それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 20:28 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。 20:29 イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。

聖霊を受けよとイエス様は言われた。弟子たちはイエス様が捕らえられたとき恐れて逃げた。しかしペンテコステで聖霊を受けて以来イエス様の復活を力強く証しする者となっていった。聖霊は私たちクリスチャンの歩みに必要不可欠である。

 聖霊をわかりやすく言えば神との交わりと言えるであろう。私たちはこの世で様々な影響を受けている。人格形成や考え方などどれひとつとっても人から、世の文化、考えから影響を受けている。目に見えないが私たちの人生に確実に影響を与えている。良き影響もあれば、悪い影響もある。イエス様から与えて下さる聖霊とは私たちの人生にどんな素晴らしい影響を与えて下さるのか?

 ①この世にはない平安を与えて下さる。

 イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、「安かれ」と言われた。

イエス様の弟子たちへの挨拶は「安かれ」ヘブライ語でシャローム、まったき平和、神の平和があなたにありますように。というイスラエルの中で通常使われてきた挨拶である。当時の人たちは、中近東では挨拶として神の祝福があるようにとか神の平和があるようにとか、お互いを祝福しあっていた。それはこの世界が平和でないことの証拠である。 いくらお互いに「シャローム」と祝福しあっても人間では本当の平和、平安を与えることはできない。なぜなら人は罪ある存在だからである。真の愛である神様から離れるなら平和を持つことは出来ないのである。

 自己暗示や潜在意識に働きかける。イメージトレーニングなど自分を強くすることが流行っているようだが、本当に続く平和は私たちにつくリ出すことはできないのである。本当の平和は永遠の方である神様から来るのである。 イエス様の「安かれ」はまことの平和を与える言葉である。死を打ち破って来られた方の言葉を聞いて私たちは進むのです。生きた神様の言葉を聞いていこう。

②イエス様の復活の証人として下さる。

「安かれ。父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」。

 聖霊を受けることは復活の証人として生きることである。教会はイエス様の復活の証人の集まりである。ただ見たことを話しするだけでは復活の証人ではない。復活の力強い命を経験してこそ、イエス様の復活の証人となるのである。クリスチャンとして生きることは真面目に生きることではない。何なにすることでない。生かされるのである。生かされることに感謝することである。イエス・キリストが私たちを生かして下さるからクリスチャン生活は楽である。平安である。

 ③神様に赦されたことの証である。

20:22 そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ。 20:23 あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。

 あなたが偉いんじゃない。あなたが神様に赦されたことの証である。イエス様と同じくクリスチャンは人々のためにとりなしの祈りを捧げることができる。またそうしなければいけない。ことを教えてくれる。私たちが神様に赦されたのは、罪の中に苦しんでいる人が神様の救いを受けるために祈るためである。私たちは神様の御心を知るなら祈らずにはいられなくなる。聖霊は神様の御心を悟らせて下さる。

新しい年度、神様より新しい力を頂いて歩んでいこう。

 

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牧師 林 健一